2005年3月7日月曜日

同じ釜の飯

〔ほん〕



中野嘉子・王向華著。2005年、平凡社。

サブタイトルは、「ナショナル炊飯器は人口680万の香港でなぜ800万台売れたか」。
長すぎだっちゅーの!

だいぶ前に「読んだらまた感想でも書きますです」と書いておきながら1ヶ月以上も放置、忘れた頃にコソーリご紹介です。

この本、もともとは2003年に香港大学出版社から出た『由樂聲牌電飯煲而起 蒙民偉和信興集團走過的道路(全てはナショナルの炊飯器から 蒙民偉と信興グループが辿った道のり)』なる社会学ないしは人類学の研究書なのですが、日本語版を出すにあたって大幅に改稿、「中国ビジネスの種本及びプロジェクトX(オヤジ号泣)本」に変貌を遂げております。
なんせ、帯には、

弘兼憲史氏大推薦!!

の文字が躍ってますし、版元が付けた分類も「ビジネス・中国」になっておりました(バブルの落とし前もいまだつけず、行く先々で現地女性に手を出しまくるクソリーマン島耕作の推薦なんか貰っても、何にも嬉しくないけどな)。

で、本の内容はというと、長崎華僑の子として香港に生を受けた蒙民偉が、松下電器の香港総代理商信興)として電化製品、なかんずく電気釜(死語)を売って売って売りまくったその苦労話と、日本製品がいかにしてアジア市場を制していったかというサクセスストーリーを通じて、「彼の国と日本、双方の国情と国民性に通じた現地の人材をもっといかしましょう」てなビジネスのヒントが提示されていました。
つまりは「中国ビジネスを円滑に進めるために、現地の人、特に日本留学経験のある人たちをもっともっと登用してはいかが?現地のことは現地の人に任せるのが一番!」ということありまして、これを読んで「おお!そうじゃったのか!」と膝を叩くおじ様方もいらっしゃるのでしょうね、きっと。

しかし、しかしですよ。

実は当の蒙さん、とっくのとうに中国ビジネスからは撤退しておりまして(松下は、中国では別の現地法人を設立しています)、本書の中には蒙さんの腹心の、

「私たちは、中国ビジネスのことをモンキービジネス(水商売)と呼んでいました。すごくうまくいっているかと思うと、突然ダメになる。波が激しいんです。
だから、蒙会長は、いつも私たちに、こうおっしゃっていました。
中国市場は不安定だから、儲かっても棚ボタと思え。信興の主力市場は香港であって、地元香港の安定した市場こそ、信興がビジネスを展開すべき場所なんだ、と」(205~206ページ)

なるコメントも掲載されております。

あのー、これって、中国ビジネス本としての日本語版の体裁と矛盾してやしませんか?
それとも、「泥沼に嵌まる前にいさぎよく撤退するのも、賢い道の一つ」とでも言いたかったのかしらん?
ちょっと?ですわ。

当方としては中国ビジネス云々よりも、蒙さんのバイタリティ溢れるキャラクターにまず魅せられましたし、松下のショウルームが重慶大廈(!)にあったとか、香港のカリスマ主婦・ミセスフォン(方太)がナショナル電子レンジのシェア拡大に一役買ったとか、そんな些細な事実の方が面白かったです。
また、本文中に掲げられている新聞広告が「華僑日報(60年代)→星島日報、明報、東方日報(70年代~)」へと変化していく、そこに香港の新聞メディアの栄枯盛衰が見えて、大変興味深いものがありました(中国へのお土産家電の新聞広告が『文匯報』〔左派系〕というのも、いかにもですね)。
そういや、かつて華僑日報がやっていた映画スターの人気投票というのも大変権威があって、1962年に東映が樂蒂(ロー・ティー)を日本で売り出そうとしたときにも、この人気投票で尤敏(ユー〔ヨウ〕・ミン)より順位が上だったことを有効活用、「現地では尤敏をしのぐ大スター」と喧伝されたものでした。

変に中国ビジネス本に衣替えしなくても十分楽しめる本だと思いますが、ま、売り上げのことを考えて日本仕様(?)にモデルチェンジしちゃうのも、商売の手としてはアリなんでしょう。

さて、最後に一つだけ疑問が。

本文201ページ及び巻末年表274ページに、台湾から中国への里帰りの開始が「1986年」となっていましたが、当方の記憶が確かならば、探親の解禁は「1987年」ではなかったでしょうか?

うむむ・・・・。

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