2005年6月30日木曜日

そんなに言うなら行ってやる!

〔ちょっとお耳に〕

27日の記事「行けるもんなら行ってみな!」の続きです。

前回取り上げたKさんの香港旅行が、社用と私用をごっちゃにした代議士の視察旅行(皆が皆、そうじゃないと思うが)みたいなものだったのに対して、今日ご紹介する「女ひとりアイデア冒険旅行 たった500円で東南アジアを回ったH・K子さん(実際の記事では実名)」(『週刊明星』1963年3月24日号)は、お金はないけど知恵と度胸で東南アジアを周遊した若い女性のルポです。

1961年2月、Hさんは台湾の薬品販売業者が募集した現地キャンペーンガールの試験に合格、3ヶ月の契約で台湾へ渡りました。
このとき、彼女の所持金はたったの500円。
台湾では各地の薬局、病院、官庁などを訪問、セールスマンが薬を売り込むその傍らでニコニコ笑っているだけの役を無難にこなし、月2万円のお手当を貰っていましたが、あっという間に3ヶ月が過ぎ、お役御免となりました。

が、そのまま日本へ帰るのももったいないので、東南アジア周遊の旅に出ようと思ったHさんは、台北の日本大使館(日台断交前の話です)へ相談に行くものの、「女1人の旅などもってのホカホカ弁当(言ってないって、そんなダジャレ)」とけんもほろろの応対(日本の在外公館がやっかいごとを嫌うのは、今に始まったことではないのですね)をされたため、現地で知り合った日本の繊維企業の台湾支社長に頼み込み、そこの社員ということにして貰って、ようやく旅行の許可を得たのでした。
事務手続きがクリアーになったら次は旅費とばかり、Hさんは日本から密かに担いできた衣料品(着物、洋服)を闇で台湾のご婦人たちに販売(いいのか?こんなことして)、これで30万円もの売り上げを稼ぎ出しました。

その金を手に、まずは香港へ渡ったHさん、そこから船でサイゴン(ホー・チ・ミン)へ行き、さらに、

サイゴン(ホー・チ・ミン)→シンガポール→ジョホールバル→バンコク→香港

のルートを2週間で回って、5月末に帰国しました。

心配された言葉の問題はカタコトの英語と身振り手振りでなんとかクリアー、危険な体験も「途中、サイゴンで乗った自動車が、べトコンのテロを避けるために180キロのスピードでつっ走ったとき」以外は特になかったそうで(「べトコンのテロ」という記述が、時代を感じさせます)、きわめて快適な旅だったとか。

んー、なんだか度胸ありますね。
この方、今ではどうしてらっしゃるんでしょう。

記事では「自分をグイグイ引っぱっていってくれるような頼もしい男性と結婚したい」と語っていらっしゃいますが、その通りの男性にめぐり合えたのでしょうか。

今さらながら、ご多幸をお祈りします。

2005年6月29日水曜日

玉樓三鳳 (Between Tears and Laughter)

〔えいが〕


1961年、香港(電懋)。唐煌監督。李湄、王萊、丁皓、喬宏、田青主演。

アパートの部屋をシェアして暮らす3人のルームメイト・趙淑嫻(王萊)、彭梅芬(李湄)、徐曼麗(丁皓)が、それぞれの幸せを掴むまでを描いた作品。
都市に暮らす独身女性の生態という、電懋お得意の都会的なセンスあふれる映画です。
30代(王萊)、20代後半(李湄)、20代前半(丁皓)という世代の違う女性たちの恋愛模様を描いているという点から考えると、2004年の張艾嘉監督作品『20:30:40』のルーツのような気もしますが、本作自体のヒントとしては、1954年のアメリカ映画『愛の泉(Three Coins in the Fountain)』あたりが元ネタとしてあるのかも知れません。

おおまかなストーリーは、下記の通り。

趙淑嫻(王萊)は、働きながら小児麻痺の息子・小鴻(鄧小宇)を育てるシングルマザー。
ピアニストの夫・陸飛鴻(楊志卿)は、数年前に愛人と海外へ失踪したのですが、やがてその過ちを心から悔い、許しを請う手紙を淑嫻に送り続けていました。
が、彼女は夫を許すことが出来ません。
香港へ帰ってきた飛鴻は入院中の小鴻と会い、淑嫻とヨリを戻そうとするものの、彼女はそれを拒みます。
しかし、父を慕う小鴻の姿と、飛鴻の真摯な態度に心打たれた淑嫻は、再び親子3人で生きる道を選ぶのでした。
彭梅芬(李湄)は、売れっ子作家。パイロットだった亡き恋人のことが忘れられず、新しい恋に踏み出すことができすにいました。
そんなある日、徐曼麗(丁皓)のペンフレンドでシンガポールからやって来た鄭大江(喬宏)と会った梅芬は、彼の中に恋人の面影を見、大江も梅芬に心魅かれます。
曼麗への後ろめたさと亡き恋人への断ちがたい思いから一度は大江の求愛を拒絶した梅芬でしたが、最後は自分の気持ちに正直に生きることを決意、大江の愛を受け入れるのでした。
徐曼麗は、従兄弟で許婚の李家華(田青)の頼りない態度に物足りなさを感じ、まだ見ぬペンフレンドの鄭大江への憧れを募らせていました。
香港へ来た大江と会った曼麗は、男らしい彼に一目ぼれするものの、大江は彼女のことを妹のようにしか思っていず、梅芬に心が傾いていました。
大江と梅芬が抱き合う姿を偶然見てしまった曼麗は、ショックのあまりその場を立ち去る途中誤って事故に遭い、病院に担ぎ込まれます。
そこへかけつけた家華はつきっきりで曼麗の看病に当たり、家華の深い愛情を知った曼麗は彼と結婚する決意をするのでした。

王萊のエピソードは、一言で言えば「子は鎹」ということなのでしょうが、息子がもう少し大きくなって父親が一度は自分たちを捨てたその理由を知ったとき、もう一波乱ありそうな、そんな予感がいたします。
お話云々よりはむしろ、強面の楊志卿がメロウなピアニスト役というキャスティングの方に面白さを感じましたです。

「こんなんでピアニストやってまーす!」な楊志卿。『大酔侠』の悪い坊さんです。

李湄のエピソード、あっしにはこれが一番共感できたかな。
李湄が、しっとりとした情感のある大人の女性を演じて出色でした。
同じ電懋所属の女優さんでも、林翠や林黛、葉楓、尤敏、葛蘭なんかとは違う、成熟した魅力のある女優さんです。
ちなみにこの年、彼女は菊田一夫に見出されて来日、東宝ミュージカル『香港』で越路吹雪と共演しています。

丁皓のエピソードは、んー、どうなんでしょ。
サド妻とマゾ夫になりそうな予感。
それはそれで釣り合いが取れているから、いいのかしらん。
身近な恋人の深い愛情を再認識というオチはありがちですが、当時としては無難なものだったのでしょう。

ところで、丁皓が勤めているテーラー(伯父さん〔陳又新〕の経営)、位置関係から推定すると国賓酒店(アンバサダーホテル)の辺りなのですが。

田青の愛車(東宝映画みたいなオープン・カー) でご出勤の丁皓。彌敦道(ネーザン・ロード)を挟んで、半島酒店(ペニンシュラ・ホテル)が見えます。

最後にもう一つ。
王萊の勤め先の飲料水。昔も今も、お水は屈臣氏



もういっちょおまけ。
男1人と女2人で山頂(ビクトリア・ピーク)へ。ちょっぴり微妙な関係です。

ぎもん

〔しようもない日常〕

例によって飲んだくれて、先ほど帰宅しました。

で、ひとつ疑問(上の話題とはかんけーないが)。

昨日、但漢章(フレッド・タン)のデビュー作『暗夜』を観ていたら、張國柱(チャン・グオチュー)の少年時代(漁師だった父親が船舶事故で急死、しかし母親は喪に服すどころか別の男とせっせと励んでいた、その密会現場をぐうぜん目撃、それがもとで女性に対するトラウマを持つようになってしまうという、李昂〔原作者〕節全開の場面)をやってた男の子が、張震(チャン・チェン)そっくりでした。

彼ですか? ほんとに。

2005年6月27日月曜日

行けるもんなら行ってみな!

〔ちょっとお耳に〕

以前、日記サイト(長期放置中)でも触れたことがあるのですが、今日は『週刊女性』1961年4月第5週号掲載の「あなたも行ける東洋のモナコ 香港旅行も夢ではありません」なる記事をちょこっとご紹介いたします。

本記事は、『政治手帳』編集部に勤めるKさん(女性。実際の記事では実名)が、仕事と観光を兼ねて香港へ旅行した、その折の体験と旅の心得を記した軽いルポです。
羽田から香港へは、英国航空機に乗ってわずか3時間半(これ、早過ぎないか?)で着く「ちょっとした散歩」だなんて、今読んでもかなり大胆なことを書いているなあと思うのですけれど、何よりも目を引くのは記事の最後にまとめられている旅費を含めた「旅の注意事項」。
以下に、引用してみましょう。

一、羽田-香港間航空運賃 10万2945円
  飛行機代        9万9400円
  旅券           1500円
  香港ビザ         1145円
  注射代           900円
二、香港ホテル代
  一流 45ドル~60ドル
  二流 25ドル~35ドル
三、タクシー代(2キロ)
  1ドル50セント(香港島側)
  1ドル    (九龍側)
四、食事
  朝食 3ドル~5ドル
  昼食 5ドル~10ドル
  夜食(原文ママ) 5ドル~10ドル
五、一日の滞在費は、いっさいを含めて最低で、50ドル~70ドル
六、滞在者は日本総領事館へ挨拶に行ったほうがよい(渡航前には外務省や大蔵省で係に会い、渡航目的等の説明をする義務もあり・せんきち注)。
(香港1ドルは日本円の70円)

飛行機代の高さに思わず「お口あんぐり」ですが、これに加えて宿泊費が3000円ほど(一流と二流の間をとって)、滞在費が1日4000円ほどかかりますから、3泊4日の日程で出かけるとして、ざっと見積もっても13万円は必要ということになります。
大卒初任給が約1万3000円の時代に、です。

オー、マーイ、ガーッ!

にもかかわらず、このKさん、

「現在、海外旅行は、ドルその他の関係で、私のように仕事以外の旅(単なる観光旅行)は許されていない。しかし、国際的な諸関係の自由化が着々と進められているので(1964年に自由化・せんきち注)、近い将来、BGの観光旅行、新婚旅行も実現できると思う。
いまから、旅費を積んでおくと、ちょうどいいかもしれない。香港といっても、行ってみれば、ほんとうに簡単なことだ」

と、やっぱり大胆すぎるご提言(?)をなさっていました。
第一、月給手取り1万5000円として、毎月3000円ずつ積み立てて、年2回のボーナス時には1万円追加として計算しても1人分貯めるのに2年以上かかりますし(利息は考えずに)、女性の場合、収入はこれよりも少ないでしょうから、もっと長い歳月がかかることでしょう。
どう見ても、「行けるもんなら行ってみな!」の世界としか思えません。

ちなみに、このときKさんが宿泊したホテルは帝國酒店(インペリアル・ホテル)。
今ではエコノミー・ホテルとして知られているこのホテルですが、当時は1泊45ドルの一流ホテルでした。

「香港旅行も夢ではありません」どころか、現実にはまだまだ「夢のまた夢」の時代だったのでありました。とほほ。

付記:『ホノルル・東京・香港』で、宝田明と尤敏が外務省の建物から出てくる場面がありますが、あれは渡航前の面接を済ませたところだったのですね、はい。 

2005年6月26日日曜日

なぞのパツキン・ギャル、その正体は

〔しようもない日常〕



暑くてバテてます。
お風呂に入って寝ます。

というわけで、先日のパツキン・ギャルの正解を。
既にもにかるさんがお答え下さっていますが、正解は こちらの主演女優さん です。

では、お休みなさい。

付記:冒頭の写真、ここのブログの画像アップロードが簡単になったので、試しにやってみました。

2005年6月25日土曜日

女秘密調査員 唇に賭けろ

〔えいが〕

1970年、大映東京。村山三男監督。江波杏子、藤巻潤、成田三樹夫主演。

1969年香港に渡り、邵氏で「なんちゃって『ダイヤルMを廻せ!』」他3本を撮った村山三男監督の、帰国後の作品

アポロ電機とヒカリ産業という今にもつぶれそうな名前の電機会社の熾烈なライバル関係を背景に、アポロ電機に雇われて暗躍する産業スパイの生態が描かれますが、このスパイさんたち、かなり隙だらけで仕事はヘマばかり、最後に繰り出す手段は「ゆすり・たかり」というお粗末な人々です。
そのお粗末さんたちを束ねるのが女スパイ・江波杏子なのですが、紅一点ではお色気不足、どうせなら『プレイガール』みたいにメンバー全員ギャルにしてほしかったところ。

で、この江波杏子演じる女スパイも、秘密を探り出すために男(ヒカリ産業課長&ホスト)と寝ることはためらうのに、ヒカリ産業の専務秘書(レズ←当時はレス。レスリングのレスじゃなくて。赤座美代子)とは2回も寝ちゃったあげく「やっぱり、あなたじゃなくちゃだめー!」と絶賛されてしまう、超絶フィンガーテク(?)の持ち主です。
ホテルへ連れ込んだ課長を睡眠薬入りブランデーで眠らせて会社の鍵を盗む件でも、普通なら「お風呂に入ってくるわ」等と言いつつ自分は風呂に入るふりをして相手が眠ったのを確認、すかさず鍵を奪う、というのが常套手段だと思うのですが、江波さん、何を血迷ったのかちゃんとお風呂に入っちゃうんですよ。
いわゆるひとつの「サービスカット」だったんでしょうけれど、次の場面ではもう服を来て部下の男とヒカリ産業本社に忍び込む準備をしていました。

湯冷めするよ。

途中から俄然目立ち始める藤巻潤は、江波さんの亡くなった姉の恋人だった男。
藤巻さん曰く、妹は姉にクリソツだけれど、姉にはあった額のホクロが妹にはない、のですと。
ということは、つまり、

姉:額のホクロを取る前の千昌夫
妹:額のホクロを取った後の千昌夫

みたいなものでしょうか。

全編これ「ぬるい」スパイ映画でしたが、案外邵氏が撮りそうだな、こんな映画。
主演は何莉莉(リリー・ホー)、共演は凌雲(リン・ユン)、監督は羅維(ロー・ウェイ)でよろしく。
レズの秘書役には駄目もとで李菁(リー・チン)希望。

(於:日本映画専門チャンネル)

お知らせ:7/19(火)から8/18(木)まで京橋のフィルムセンターで開催される、「発掘された映画たち 2005」の中で『萬世流芳』が上映されます。くわしくはまた。

2005年6月24日金曜日

バレーボールおかみ

〔ちょっとお耳に〕



わたくしが初めて中国を訪れたのは、1983年のこと。
「今さら若ぶるんじゃねーよ!」と言われそうですが、念のため書き添えておくと、まだ10代の頃でありました。
縁あって、とある観光団に参加、上海と蘇州を訪問しました。

旅の後半、お土産を買う段になり、「何か流行りものの音楽でも」と思ったわたくしは、(当時は)言葉もほとんどできないし彼の地の音楽事情もよくわからないため、とにかく「ジャケ買いだ!」ということで、『青春之火』なるタイトルの、サラサラヘアーのギャルが微笑む写真が印刷されたカセットテープを購入、日本へ持ち帰りました。

帰宅して、さっそくそのカセットテープを聴いてみると、あら不思議、

ぼうゆになっとぇ~、とんでくゆ~、きゃなしみぎゃ、くゆしみぎゃ~

と、とほほな日本語の歌が流れてくるではありませんか。

「えっ?ひょっとして、これは・・・・」と思い、ジャケットにある文字を確認すると、

排球女将(バレーボールおかみ)

と書いてあり、ギャルの顔もよくよく見てみると荒木由美子に似ています。

そう、それは『燃えろアタック』の中国版サントラカセットだったのです。

大バカなわたくしは、わざわざ中国くんだりまで行って、日本のテレビドラマのカセットテープを買ってきたのありました・・・・。

その後に知ったところでは、『燃えろアタック』はわたくしが中国へ行ったまさにその年、彼の地で放映されて人気沸騰、荒木由美子@渚でクロスはいまだに中国でも有名人だ、とのことでしたが、今日、何気なく某局のワイドショーを観ていたら、彼女が執筆した介護本(『覚悟の介護』)が中国で翻訳され、昨年暮れにはそのサイン会を行うために訪中、CCTV(中国中央電視台)の『艺术(芸術)人生』にも出演していたのだそうです。

いやあ、知らんかったわ。
『艺术(芸術)人生』、栗原小巻の回は観たけどね(中野良子も出てます)。

バレーボールおかみ(←意味、間違ってるよ!)、侮れませんぞ。

付記:栗原小巻といえば、わたくしの初訪港のとき(1987年)テレビ放映されていたのが、『二人の世界』(竹脇無我共演。1970年)。かなりタイムラグがあったけど・・・・。

2005年6月23日木曜日

なぞのパツキン・ギャル

〔しようもない日常〕

先ほどまでメインサイトのサーバーがダウン、訂正事項を見つけたにも拘らず、更新作業が全くできない状態でした。
訪れる人もまばらなオタクサイトですが、この間お訪ねくださった方がいらっしゃいましたら、申し訳ございませんでした。
現在は、復旧しております。

さて、そんなこんなで気分がすっかり萎えてしまいました。
萎えついでに、昨日の某スポーツ紙の記事
激ヤセ&不思議ヘアーの貴乃花親方のことを、

ジャッキー・チェンみたい

とおっしゃった方がいらっしゃるとか。

誰だよ、それ。

・・・・。

以下は、しようもないクイズ。

なぞのパツキン・ギャル、彼女の正体はいったい・・・・?


ぷはー。タバコも吸うわよ。


むかしむかし、こんなパツキンオネエさんが「聚楽よーん」と囁くCMがありました。
正解は、気が向いたときに。

2005年6月22日水曜日

モーガン警部と謎の男

〔えいが〕

1961年、ニュー東映東京。関川秀雄監督。ジョン・ブロンフィルド、鶴田浩二、久保菜穂子主演。

当時大人気だったテレビシリーズ『モーガン警部』のジョン・ブロンフィルド(モーガン)&ジェームズ・グリフィス(トム)を招いて製作した作品
ビデオ録画に失敗した上に鑑賞後既に1ヶ月以上が経過したため、かなーり記憶があいまいになっております。
ま、メモ程度に。

「アメリカ(アリゾナ州ツーソン)~香港~東京」と、アジア太平洋を股にかけつつ事件解明に励むモーガン警部(ジョン・ブロンフィルド)とアジアの風来坊である謎の男・風早(鶴田浩二)が、反目し合いながらもやがて一致団結して麻薬密輸団を撲滅するという、一見するとスケールの大きな作品ですが、アメリカから俳優を呼んだ時点で予算が尽きてしまったのか、すべて日本国内で撮影を行っているため、「アリゾナ州ツーソンの砂漠」と「日本の麻薬密輸団のアジトがある野っ原」に生えている植物が同じという、とほほな結果に終わっております(ロケ地は埼玉県朝霞市らしいです)。
香港の街並は、けっこうがんばってオープンセットを作っていたものの、これもそれほど大掛かりなものではなかったと見え、「香港の街で捜査するモーガン警部」はいつも同じ店の前に立っているという、これまたとほほな結果でありました。

また、鶴田浩二の風早は、本来ならば日活無国籍アクション的なノリで演じるべき役柄だと思うのですが、既にして任侠臭プンプンの浪花節全開キャラで、モーガン警部とは水と油でした(モーガン警部だって、アメリカのど田舎の今様保安官なんだけどさ)。
ミスマッチの妙と言えば、言えなくもないのですけれど。
それに、鶴田さんって基本的に「俺が主役だ」な人みたいですから、もう1人主役を作ると変に張り合ってしまうのか、ほとんど協調性ゼロになっていました。
風早と久保菜穂子演じる香港娘・周麗華の恋も、仁侠映画のそれに近い印象。

そうそう、周麗華って、なんだか李麗華みたいな名前ね。
日本映画に出てくる中国人女性って、たいてい李麗華か李香蘭に似た名前になるようです。
志穂美えっちゃんの李紅竜(女必殺拳シリーズ)も、「りこうりゅう」だから李香蘭(りこうらん)系ですよね、結局(お姉さんの名前は白蘭)。

促成栽培で拵えた、まさに「国際級珍作」でおました。

(於:東映チャンネル)

2005年6月21日火曜日

行ってらっしゃーい!

〔ちょっとお耳に〕

暑くてだるいので、軽めのネタで失敬。

奥菜、夫婦円満アピール「台湾?夫とぜひ行きたい」

女優、奥菜恵(25)が19日、同日から愛知万博で開催する台湾芸術団体公演「TAIWAN'S INPACT 2005」会見にゲスト出演。台湾の演劇、舞踊の5団体が来月6日まで万博で公演を行うもので、この日は、民族衣装に身を包んだ演者も登場した・・・・

関連記事は、こちらこちら

関連記事によると、昨年、待望の初来日公演をはたした雲門舞集公演(5日)もあるようです。
なかなか画期的な企画と言えるかも。
ただし、次回公演は7月4日から6日までと、ちょっと間があくのが難点ですね。
その期間に万博を訪れる方がいらっしゃいましたら、ぜひともご覧になってみてください。

あ、奥菜恵の話題じゃなくなっちゃった。

2005年6月20日月曜日

池玲子 in 香港

〔ちょっとお耳に〕



先日、「香港の古新聞、あな探し」なる記事で、日本のグラマー女優(死語)の香港に於ける認知度を探りましたが、その後、「ああ、そういえば、嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)の『心魔(悪魔の生首)』に出た池玲子、彼女に関する記事もあるはずだよなあ、きっと」と思い捜索したところ、いろいろ面白いことがわかりましたので、さっそくご報告いたしますです。

池さんに関する最初の記事が登場するのは、1974年8月8日付『香港工商日報』。
池さんの紹介兼『心魔』の撮影ルポですが、まだ香港に来て間もない池さんが言葉も通じず淋しい思いをしている、なんてことが書いてあります。
記事中、なぜか池さんの名前は池田玲子と本名で書かれており、そこにはごていねいにも「このたび嘉禾が池玲子と改名」(例によって超訳)と注記してあって、思わず、

うそこけ

と言いそうになりました。

この後、8月15日付同紙には、撮影の休みを利用して記者さん同行で郊外へのピクニック兼写真撮影会を行うという記事があり、また、8月27日付同紙には「池玲子は語学の天才」(短期間で広東語・北京語をかなり覚えた)という記事も見えますが、後者に関しては8月24日付『華僑日報』にも同様の記事があるので、どうやら嘉禾が宣伝用に流したネタのようです。
さらに、9月6日付『香港工商日報』には、池さんが香港で早くも「外国人男性と親しいお友達になった」というご当地初ゴシップ記事が登場しており、また、『香港工商日報』の楊翠さんという記者はよほど彼女のことが気に入ったらしく、コラムで何度か彼女のことを取り上げています(例:池玲子は親しみやすい女性)。

『心魔』の撮影も終わり、無事日本へ帰国した池さんでしたが、11月に入って、彼女の主演作品である『女番長ゲリラ』が、嘉禾の配給により香港で公開されました。

中文タイトルは、『十三太妹』。

新聞記事(『香港工商日報』)にある解説には、「女番長(スケバン)とは飛女の意味であり、飛女のことを台湾では太妹と呼ぶので、このようなタイトルになった」と、もっともらしい理由が書いてありましたが、あきらかに『十三太保(英雄十三傑)』のパクリですね、このタイトル。


↑おっ!油麻地戯院でも上映してますぜ。にしても、杉本美樹子って・・・・。

映画の公開に合わせて宣伝のために再度来港するはずだった池さんでしたが、日本での映画撮影に追われて実現は叶わなかったようです。
しかし、ちょうど呉宇森(ジョン・ウー)監督の『女子跆拳群英會(ジョン・ウーの龍を征する者)』に出演のため香港に滞在していた衣麻遼子(やはり『女番長ゲリラ』に出演)が宣伝に協力できるのではないか、といったことが11月14日付『香港工商日報』にはあります。

なるほど、ウー先生の映画って、この時期に撮影してたんだ。

というわけで、主役不在のまま公開が始まった『女番長ゲリラ』でしたが、84分の作品が当地の検閲によりばっさばっさと鋏が入って60分程に大幅短縮、結果、「『十三太妹』は最低映画」(11月16日付『香港工商日報』)との烙印を押されて上映終了となりました。

『女番長ゲリラ』公開時に来港できなかった池さんは、12月初めに香港で開催された「日本映画祭」(『男はつらいよ』等4作品を上映)に合わせて再び香港を訪れテレビにも出演、歌を歌い(何の曲か気になります)簡単な広東語会話も披露しました。
「日本の女優が香港のテレビに出て広東語をしゃべった」という点は、彼の地のお茶の間にも好意的に受け止められた模様です。

この滞在中、池さんは『心魔』で共演した柯俊雄(クー・ジュンション)の近況をしきりと知りたがり(撮影中、2人は日本語でおしゃべりしていたそうです)、また、苗可秀(ノラ・ミャオ)と機会があったらぜひ共演したいと語っています(12月6日付『香港工商日報』)。

香港での池さんの知名度が比較的高くなったと見た嘉禾は、先に上映する予定だった『女子跆拳群英會』を後回しにして『心魔』を上映することに決め、かくして、1975年1月1日から上映が始まりました。
映画の宣伝のため、嘉禾は「特製池玲子カレンダー」を10万枚作成、切符を買った人に進呈するという荒業に出ましたが、これを知った池さんは大感激、「記念に1枚ほしい」と嘉禾におねだりしています(1975年1月1日付『香港工商日報』)。

が、残念なことに、映画自体は評もよくなく(1月5日付『香港工商日報』)、観客動員も伸び悩んで、池さんの香港映画初主演はあまりよくない結果に終わったのでした。
当初の予定では『心魔』の後にも香港で映画を撮るプランがあったようですが、日本での仕事が忙しかったため(決して『心魔』の出来が悪かったからと言うわけではなかったようです)、結局、彼女の出た香港映画はこれ1本きりとなりました。

以降、しばらくの間、彼女の名前は香港の新聞から消えるものの、1977年6月に入って突如、彼女の1971年の作品である『現代ポルノ伝 先天性淫婦』が「池玲子の新作映画」として上映されています。



この頃、日本での彼女は覚醒剤に賭博とスキャンダルまみれで、最悪の状態にありましたが、香港の皆さんはそんなこととは露知らず、彼女の「新作」を堪能していたのでありました。

めでたしめでたし。


おまけ。『女囚701号 さそり』、香港公開時の広告。
梶芽衣子の名前が尾芽衣子になってます。
ひらがなでは書けないわ、あぶな過ぎて。

六月のはなよみ

〔えいが〕



困ったときの画像ネタ。
1959年の電懋作品『雲裳艶后』(唐煌監督。林黛〔リン・ダイ〕、陳厚〔チェン・ホウ〕主演)から、とほほだけど愛くるしいジャパニーズ・花嫁(はなよみ)・ファッションを。



劇中に行われる「六月新娘」(ジューン・ブライド)なるファッション・ショーの一こま。

ああ、六月のはなよみ(何を読むのさ?)。

JAPANの下の「二木」も気になります。

御徒町・二木の菓子


お祝いにやってきたお客さん(邪魔者)を無事送り出し、


「やっと2人きりになれたね」とばかりに、情熱的なキス!
しかし、ドリフのコントよろしく障子が倒れて、


いやーん!見られちゃったわーん!
どうしましょう。


というところで、お後がよろしいようで。
花嫁さんが振袖なのに、お婿さんは浴衣。
かんたんでいいですわね。


こちらは、『情深似海』(1960年、電懋。易文監督)の葛蘭(グレース・チャン)。
お寝間に浴衣をご愛用ですが、死に装束になっていますぞ!

2005年6月19日日曜日

今夜も酔っぱらい

〔しようもない日常〕

えー、今日は、

朝寝坊→キネカ大森(東南アジア映画講座)→台湾資料センター→飲み→地元で飲み

で、先ほど帰宅しました。

とりあえず、某mixiとネタが被ってしまうのですが、『卒業旅行』の画像をお楽しみ下さい。


タイトル。バックは香港。


出てきたと思ったら、すぐに殺されてしまう宗華さん。


やっぱり紀香似&あんたはほんとにニコパパの妻だったんか?の甄珍さん。

本日の教訓:「飲みすぎ注意」。

2005年6月17日金曜日

いかにも深刻そうだが

〔ちょっとお耳に〕

今日はちょっとだるいです。
風邪引いたかしら・・・・。

日中関係悪化、「交流年」にも影?

中国各地で4月に起きた反日デモや小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題などさまざまな問題をめぐって日中関係が悪化していることが、「日港交流年2005」にも影を落としているもようだ。15日付一部香港紙は、「香港の一部学校に、交流年関連行事辞退の動きがあった」などと報道した。これに対し在香港日本総領事館は、影響は出ていないことを強調している・・・・

関連報道は、こちらこちら

「一部学校」というのは、やっぱり「親中派」(って言い方でいいのかしらん)の学校を指しているのかなと思ったりもしますが、元の記事を読むとそんなに大したことはなさそうな気がするんですけど。

とりあえずは、成功を祈りましょう。

2005年6月16日木曜日

とりあえず、作ってみた

〔とほほ事件簿〕

すいません。
まずはじめに、昨日のMusical Baton、下記の5名の皆さま(これがノルマなもんで)におそるおそるお渡しいたします。
差支えがありましたら、コメント欄にお書き込み下さい。

きたきつねの穴 の きたきつねさん

ごった煮の記-徒然なるまま- の katetakeさん

■DON'T_LOOK_NOW■ の DHSさん

Driftingclouds の KEIさん

なんだか粤っぽい~小心ものは地を滑る の 胤雄さん

ご面倒をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。


さて、話はがらりと変わって、最近気になったニュースなんぞを。


マイクロソフト、中国でブログ検閲に協力

米マイクロソフト社は、新たに立ち上げた中国語ポータルサイトで、中国政府による検閲に協力していることを認めた。
マイクロソフト社の『MSN』で国際販売マーケティング部門を統括するアダム・ソーン氏は、ブログサービス『MSNスペース』で作られたブログが検閲の対象になると述べた。
ソーン氏によると、マイクロソフト社は中国政府が出資する提携企業とともに、当局と連携して禁止語の除外措置を講じているという。ソーン氏は禁止語の具体例は明らかにしなかった。
ソーン氏はAP通信に対し「現時点で私は禁止語リストを閲覧できないため、どんな言葉が含まれているか具体的にコメントできない」と語った。
フランスのAFP通信は13日(米国時間)、中国語版のMSNスペースでは「民主主義」、「人権」、「台湾独立」といった言葉が投稿できないと報じた。そうした言葉を入力しようとすると、この言葉の使用は禁止されているというメッセージが表示されるという。
ブログスペースを無料提供する中国語版MSNスペースは、ポータルサイトの『MSNチャイナ』にリンクするサービス。マイクロソフト社によると、MSNチャイナは先月26日にサービスを開始し、それ以来、500万件のブログが開設されているという・・・・

その後の報道によると、「ダライ・ラマ」や「法輪功」、「6月4日」も駄目で、「中国」と「汚職」の組み合わせもアウトなのだそうですが、記事を読んでいるだけではつまらないので作っちゃいました、自分のスペース(飽きたら止めます。陳腐なポエムでスマソ)。

で、さっそく「自由」と打ち込んでみたところ、なんとこれもアウトでした。
「自由な時間」は大丈夫でしたが。

それから、「両岸統一」と「反対」の組み合わせはOKですね、なぜか。

いろいろ試してみる・・・・つもりです(すでにして飽き始めている、ええかげんなわたくし)。

付記:平仮名で入力したら「民主主義」も「自由」もスルー(臆病なので、大幅に字間空けたりして)。でも、スペースの下の方に「密告奨励欄(仮に命名。正式名称は「报告滥用行为」。日本版にもあるけど)」があったので、試した結果は即座に消すことにします。いちおう、上記のような結果だったということで。

2005年6月15日水曜日

「Musical Baton 音樂接力棒」だぞなもし

〔おんがく〕

A*mei-Project自知之明のjingさんから、「悪魔の招待状」が届きました。
Musical Batonなるものです。
その概要はというと、

今パソコンに入っている音楽ファイルの容量
最後に買ったCD
今聴いている曲
よく聴く、または特別な思い入れのある5曲


という上記4つの質問に答えるのだそうな。

では、さっそくやってみましょう。
実は最近、ほとんど音楽聴かないんだけど・・・・。

一 今パソコンに入っている音楽ファイルの容量

えっ?
いまだにCDで聴いてるんですが。
あ、『少年律動体操』の着メロならダウンロードしたことあるか。
というわけで、不明です(ごめんよ。はりあいのない答えで)

二 最後に買ったCD

ごめんなさい。覚えていません。
最後に買ったVCDなら、先週注文した『卒業旅行』香港盤とすぐに答えられるんですけど。

三 今聴いている曲

周璇 『訴衷情

四 よく聴く、または特別な思い入れのある5曲

「今も心に残る曲」ということで。

1、クロード・ソーンヒル(Claude Thornhill)楽団 『スノウフォール(Snowfall)』

この曲を初めて聴いたのは、中学1年生のとき。
でも、そのときは本人演奏のものではなくて、グレン・グレイ&カサ・ロマ・オーケストラ(Glen Gray and The Casa Loma Orchestraの『サウンズ・オブ・ザ・グレート・バンズ!(Sounds of The Great Bands!)』に収録されていたカヴァー・ヴァージョン(で、いいのか?)でした。
その後すぐにレコード屋さんに行って、改めて買ったアルバムが、『リアル・バース・オブ・ザ・クール(The Real Birth of the Cool)』。
CBSソニー(当時)が出した国内企画盤です。
現在では諸般の事情によりレコードを聴くことができないため、もっぱらCDで聴いております(こちらもどうぞ。ジェリー・マリガン〔Gerry Mulligan〕が参加しています)。
ちなみに、"The Real Birth of the Cool"とは、かの有名な"Birth of the Cool"(クールの誕生)を踏まえたネーミング。
彼こそが真のクール・ジャズの創始者であるという、企画者(たしか瀬川昌久氏)の強い思い入れが込められたタイトルです。

2、セロニアス・モンク(Thelonious Monk) 『ルビー、マイ・ディア(Ruby, My Dear)』

精神的に絶不調の頃(今から15年ほど前)、よく聴いていました。
モンクス・ミュージック(Monk's Music)』じゃなくて、『ウィズ・ジョン・コルトレーン(With John Coltrane)』のほう。
カーメン・マクレエ(Carmen Mcrae)のヴォーカル・ヴァージョンも好きです。

3、クリス・コナー(Chris Connor) 『オール・ジス・アンド・ヘヴン・トゥー(All This And Heaven Too)』

これも2と同じ。
ジス・イズ・クリス(This Is Chris)』より。
クリスのヴォーカルもさることながら、ハービー・マン(Herbie Mann)のフルートソロがいいです。
で、その頃、生クリスの歌も聴きました。
「腐っても鯛」でしたわ。

4、フレッド・アステア(Fred Astaire)、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)、ケイ・トンプソン(Kay Thompson) 『ボンジュール・パリ!(Bonjour Paris!)』

1957年の映画『パリの恋人(Funny Face)』から。
中学の頃、テレビの深夜放送で初めて観て以来、大好きなミュージカル映画の1つです。
高校1年のときにサントラレコード(輸入盤)を購入、飽きるほど聴きました。
今はビデオにDVDに、ほんとに便利な世の中です。

5、李香蘭 『賣糖歌

1943年の映画『萬世流芳』から。
国語時代曲を聴き始めるきっかけになった曲です。

んー。5曲だけというので、なるべくずっと前好きだった曲を掘り起こしてみました。
他にもいろいろありますが、ま、こんなところで。

なんだかんだ言って、ここまで書くのに2時間以上かかってしまいましたわ。

はあ、しんど。

さて、この「悪魔の招待状」、これだけでは済まなくて他の方にバトンタッチしなければいけないのだそう。
というわけで、後ほどこちらでご指名いたしますので、参加をご辞退なさりたい方は今のうちにコメント欄で表明して下さいまし。

よろぴく。

2005年6月14日火曜日

黄色故事

〔えいが〕

1987年、台湾(湯臣)。 王小棣、金國釧、張艾嘉監督。張曼玉、鈕承澤、張世、周華健主演。

張曼玉版『現代ポルノ伝 先天性淫婦』かと思いきや、オチがやたらとハートウォーミングなハッピーエンドでがっくし。

詳しい内容はこのあたりをご参照いただくとして(間違い多いけど)、お話は3話のオムニバス形式(続き物)で進行します(第1話の脚本は、蔡明亮が担当)。
子供の頃、セックスに対する禁忌を植えつけられたヒロイン・暁敏(張曼玉〔マギー・チャン〕)が、フツーの幸せを追い求めながら、つい悪い男にフラフラきてせっかくの平凡な生活を自らぶち壊していくのですが、自宅に押し入ってきたマッチョなならず者に裸にされてパンティ奪われて逃走されちゃうのに、そいつにまで「萌え」てしまうマギーったら、いけない若奥さんです。
で、そのマッチョ役をやってたのが、呉大維(デビッド・ウー)ってところが、また何ともいえません。
この頃からウーさんって、同志ウケするルックスだったのね。

ま、前述したとおり、映画のオチはどうってことないもので(どうした、シルビア?)、「こんな落とし前のつけ方で、あんたの抑圧された性欲は解放されるのかい?」と詰問したくなるのですけれど、当時の台湾のぴっちぴちの男優たちとマギーとの顔合わせには「みんな、若かったのねえ」と、観ていて感慨深いものがありました。
張世とマギーが離婚する場面で王傑(ワン・チェ)の『一場遊戲一場夢』が流れたのも、やはり懐かしさいっぱい。

「あのとき君は若かったムービー」として、ストーリーとは関係のないところでそこそこ楽しませていただきました。

2005年6月13日月曜日

すいません、4つ減ってます!

〔ちょっとお耳に〕



御免なすって。懲りずに古新聞ネタどす。

さて、わたくしの古新聞の楽しみ方の1つに、「広告を読むこと」があります。
既に1960年代初頭から、日本企業の製品が香港に進出しておりましたが、そんな中で目に付いたのが「サッポロビール」の広告。
「七寶啤酒」なる漢字表記で、SAPPORO(サッポロ)の音を七寶(ちゃっぼう・広東語読み)という縁起のよい文字と音に当てています。

しかし、まてよ・・・・。

5年前、大連の南山賓館(現・富麗華南山花園酒店)の日本料理店(「行雲」。なくなっちゃったみたいです)で食事をしたさい、サッポロのビン生があったので注文したのですが、そのときの中文名はたしか「三宝乐(三寶樂。さんばおろー・北京語読み)啤酒」でした。

7つの宝と3つの宝。

すいません、4つ減ってますけど!


気になったのでちょっこし調べてみたところ、中国内地のサッポロビールは「江蘇省に設立した合弁会社・大富豪ビールがサッポロブランド「三宝楽」の現地生産・販売を行って」いるのだそうで、つまりはめいめい勝手に近い読み&縁起のよい文字を用いた当て字を行った結果、宝(どんな宝かは知らんけど)が4つも減る事態に陥ったようです。
そして、今でも香港や台湾では「七寶啤酒」で通っている模様。

あ、でも、台湾だと植民地時代もありますから、そのときはどうだったのでしょう?
やっぱりそのまま「札幌麦酒」だったのでしょうか。

またキリがなくなってしまいました・・・・。

付記:サッポロビール、尤敏主演の『香港の夜』(1961年)『香港の星』(1962年)公開時には東宝とタイアップ、「香港の夜も、東京の夜も、ビールは星のマーク 本場の味 サッポロ」「ミュンヘン 札幌 ミルウォーキー(懐かしいコピーですね) 世界の星 サッポロビール」という新聞広告を出しています。

2005年6月12日日曜日

香港の古新聞、あな探し

〔ちょっとお耳に〕


英語吹替に中文字幕ということは、インド人や欧米人も殺到したのか?

すいません、今日も古新聞ネタです。

一昨日、例の検索で探し出した尤敏の記事を読んでいたところ、同じ面(芸能面)に松竹のグラマー女優・泉京子に関する記事があるのを発見しました(1960年5月1日付『香港工商日報』)。
それによると(以下、超訳&超要約)、「日本映画は香港において既に一定の人気を獲得しているが、その原因として作品の水準の高さの他、大胆な性描写が観客に歓迎されている」といった点を指摘した上で、「日本の映画界で『肉弾』(グラマーのことでせうか?)として知られている女優・泉京子の新作『裸體女海盗』(原題『人魚昇天』)が、香港島及び九龍で上映される」とあり、彼女の1958年の主演作『人魚昇天』が、この時期香港で公開されていたことがわかりました。

ま、同時期の香港映画が「キスをする、しない」で大問題になるような状況だったのに比べて、美しい女優さんたちがあんなことやこんなこと、あんな格好やこんな格好までしてしまう日本映画は、きっと香港の殿方のハートをわしづかみにしたに違いありません。

そこで、ちょっくら興味を抱いたわたくしは、泉京子に関する記事を検索、すると、驚くなかれ、同じ年の6月、『紅衭子』(原題『続々禁男の砂 赤いパンツ』)の公開に合わせて彼女は来港、舞台挨拶や記者会見をこなしていたのでした(いずれも『香港工商日報』による)。
ちなみに、記者会見時の記事の見出しには「日本のマリリン・モンロー」とあります。

褒めすぎや、あんた。

しかも、この映画を配給して泉京子を香港へ呼んだのは、あの電懋。
ショウ・ブラザーズの宿敵、キャセイ・オーガニゼーションであります。

電懋って、オトナの会社だったのね。

泉京子がどうも香港でかなりメジャーな存在だったらしいことは、以前、1961年の『週刊サンケイ』グラビア記事(「香港の中の日本」。すいません。何月何日号だったか失念しました)に、彼女の出演映画の看板を食い入るように見つめる香港のオッサンの写真が掲載されているのを見て以来、うすうす感じてはいましたが、まさか映画の宣伝のためにわざわざ香港まで行っていたとは。

「ジャパニーズ・エロス、おそるべし」ですわ。

で、さらに興が乗ったわたくしは、グラマーついでに前田通子(新東宝代表)や筑波久子(日活代表)でも検索をかけてみましたが、残念ながら記事はありませんでした。
前田通子の人気は、どうやら台湾限定だったみたいです(くわしくは、川本三郎氏の『君美わしく』をご参照下さい)。

でも、三原葉子こちらもどうぞ)の記事はありましたよ。
一番早い時期が1961年5月17日付『香港工商日報』で、うそかまことか記者さんが三原葉子の自宅を訪問、単独取材に成功しています。
日本のどこかのスポーツ新聞からパクったのか、それともほんとに訪ねていったのか、謎は残るものの、香港でもちゃんと彼女の名前が知られていたことを示す記事です。
その後、かなり長期に亘って彼女の記事が香港の新聞にも掲載されていますが、一番最後は1978年7月24日付『華僑日報』にある記事。
女囚701号 さそり』での彼女の演技が取り上げられていました。
中文タイトルは『蠍女七零一』(そのまんまや)。
この頃、香港で公開されたようです。

なんだかキリがないので、最後に「とどめの一発!」とばかり、呉宇森(ジョン・ウー)監督が師と仰ぐ石井輝男監督に関する記事がないか探してみたところ、 1965年7月17日付『華僑日報』に『雙雄喋血記』の紹介記事がありました。
そう、この映画こそ、呉監督の『狼 男たちの挽歌・最終章(喋血雙雄)』のルーツである『ならず者』の中文タイトルであります。

ちいとばかり、感激いたしました。

2005年6月11日土曜日

經典電視劇龍虎榜

〔ちょっとお耳に〕



周潤發汪明荃稱王封后 經典電視劇網上投票

在一項有關電視劇的網上投票中,周潤發雖然久未拍電視劇,但他過往所演的角色實在深入民心,結果與汪明荃分別當選「小生之王」、「花旦之后」;雖然翁美玲已逝世20年,但由她飾演的角色和電視劇都仍然獲得高票數支持。
香港新浪網最近推出「經典電視劇龍虎榜」網上投票,供中港兩地網友投選各年代的經典電視劇、花旦和小生、角色等,推出近兩星期已經有9萬5000多位網友參加。在一系列網上投票中,最受注目的可算是「小生之王」和「花旦之后」,現已身為國際巨星的周潤發同時擊敗了鄭少秋和劉德華膺「小生之王」,共獲得兩成半網友支持,鄭少秋則僅以數十票之差屈居第二;劉德華亦以兩成支持排行第三。至於電視劇花旦之位,阿姐拋離其餘11位對手登上「花旦之后」的寶座,以四成得票率榮登榜首,翁美玲則以兩成半支持度排行第二・・・・

関連情報は、こちら

今日も飲んだくれて、先ほど帰宅しました。
身体を壊して一時期全く飲めなかったことがあるので、お酒が飲めるってほんとに幸せだなあとしみじみ思う、今日この頃です。
とはいうものの、「飲みすぎで身体を壊した」なんてことにならないよう、気をつけたいものです、はい。

さて、香港新浪網が行った「經典電視劇龍虎榜」なるネット投票で、周潤發が「小生之王」、汪明荃が「花旦之后」に選ばれました。
映画のそれに比べると、ジモティ臭ぷんぷんの結果ですが、阿姐が第1位というのは何となくうれしいです。

そういや、彼女も東宝芸能学院(東宝芸能アカデミー)出身ですね。
邵氏が所属の若手女優を東宝芸能学院へ修業に出していたという話はよく知られていますが(1963年、当時留学中の女優さんたちが、東宝の『お姐ちゃん三代記』に出演しています)、邵氏を飛び出して台湾へ行った李翰祥率いる國聯もこのスタイルを踏襲、「國聯五鳳」の1人である汪玲(元々は、李翰祥が邵氏を飛び出したときに、傘下の南國實驗劇團から引っこ抜いてきた女優さん。『星のフラメンコ』や『新 座頭市 破れ!唐人剣』に出演していました)が東宝芸能学院で学んでいます。
東宝芸能学院と港台影視界の繋がりも、調べてみるといろいろ面白いことがありそうです。

2005年6月10日金曜日

やっぱりあんたはひどい男だよ、羅維!

〔ちょっとお耳に〕


林翠と秦劍監督の結婚式での一コマ。向かって左から、林翠ママ、林翠、尤敏、葛蘭。
ご周知の通り、この後2人は離婚、林翠は王羽(ジミー・ウォング)と再婚しますが、秦劍は邵氏の宿舎で縊死してしまいました。合掌。

昨日ご紹介した太っ腹企画をさっそく活用、尤敏(ユー・ミン)に関する記事を検索して楽しんでおります。

実は「新聞まるごとデジタル化」の他にも、切り抜き記事の閲覧が可能でして、今日はその中から1997年11月8日付『星島日報』に掲載された「葛蘭與尤敏、林翠的半生縁」を選択、葛蘭(グレース・チャン)と林翠(リン・ツイ)のお兄さんである曾江(ケネス・ツァン)の昔話を楽しく読みました。

が、その中に聞き捨てならない話題が!

1961年、羅維(ロー・ウェイ)が自身の監督作品『無語問蒼天』(張徹〔チャン・ツェー〕脚本)のヒロイン(聾唖者)に尤敏を起用したとき、皆はてっきり尤敏の演技力を評価して使ったのだとばかり思っていたら、ある日、仕事仲間(尤敏含む)と半島酒店(ペニンシュラ・ホテル)で食事をしていた羅維が、

彼女は広東人で北京語が駄目だから、聾唖者の役がお似合いだと思ったのさ。

と、尤敏の目の前で好き放題の大放言、尤敏は堪えきれずにホテルの玄関で泣き続けた、というのです。

羅維のとんでもエピソードは、これまでにも李小龍(ブルース・リー)や成龍(ジャッキー・チェン)絡みの話題で知ってはいましたが、まさか女優にまでこんなひどいことをしていたとは。

羅維よ、あんたってヤツは、やっぱりろくでもない男だわ。


どんなにひどいことを言われても、お仕事のときには仲のよいフリをしなければならないのが、人気商売の辛いところです。
向かって左:羅維、右:尤敏。


おまけ。自宅での尤敏。

付記:この切り抜き記事、他にも 曾江がかつて尤敏と付き合っていたことをあっさり認めていたり、尤敏の葬儀の前、葛蘭のところに雷震(レイ・チェン)から電話があって「(自分)1人だけで彼女の遺体と対面したい」と頼まれたものの、遺族の反対で実現しなかったといった裏話が披露されています。

2005年6月9日木曜日

香港の古新聞、読み放題!

〔ちょっとお耳に〕



個人的には、台湾の「國家文化資料庫」以来の大ヒットです。

な、なんと、香港公共圖書館の「多媒體資訊系統」で検索するだけで、あなたのお探しの記事が掲載された香港の古新聞(1864年~1987年)が読み放題になるのですよ!!!

詳しい検索方法はこちらをご参照いただくとして、「何なんだ?この太っ腹企画は」と思ったら、デジタル化されているのは、『香港工商日報』、『華僑日報』、『遐邇貫珍』、『香港華字日報』、『香港華字晚報』、『大公報』、『China Mail』、『Hong Kong Daily Press』、『Hong Kong Sunday Herald』、『Hong Kong Telegraph』、『Hong Kong Weekly Press』と、現在では廃刊になっている新聞が大半でありました。
ですが、香港老電影情報を捜し求めるわたくしにとっては、この上もない宝の山でございます。

どうか皆さまも、それぞれの方法で自分だけのお宝記事を探し当てて下さいませ。

また寝不足になりそうだわ・・・・。

付記:「多媒體資訊系統」の利用可能時間は、月・木・金・土・日・祝:午前9時~深夜0時、火:午前9時~午後9時、水:午後1時~午後9時迄です(香港時間)。

2005年6月8日水曜日

Viva Tonal 跳舞時代

〔えいが〕

2003年、台湾(簡偉斯・郭珍弟、公共電視)。簡偉斯、郭珍弟監督。

日本統治時代、台湾コロムビア(古倫美亞)の柏野正次郎が仕掛け人となってもたらされた戦前の台湾語歌謡黄金期を追ったドキュメンタリー映画
第40回(2003年)台湾金馬奨最優秀ドキュメンタリー映画賞受賞作。

台湾コロムビアの専属歌手だった愛愛(やはり台湾コロムビアに所属していた作詞家の周添旺夫人)や当時の台湾コロムビアスタッフ、台湾コロムビアの特約店だった宜蘭の林屋商店店主・林平泉、作曲家・郭芝苑といったゆかりの人々への取材映像と当時の映像を中心に、再現映像も交えながら映画は進行します。
内容についてあまり詳しく書くのも何なので軽く触れる程度にしますが、当時のスタッフが口々に「私の人生の中で、あの時代が一番輝いていた」と言っていたのが印象に残ります。
日本による植民地支配自体は決して正当化できるものではないのですけれど、ただ単純に「いい」「悪い」、「支配」「被支配」というだけでは割り切れないものが沢山あるのだなと、今回改めて思いました。
当時、愛愛が柏野に連れられてよく来たというレストラン・波麗路(ボレロ)で、皆が和気藹々と思い出を語り合いながら食事をする姿にも、心温まるものを感じます。

ぜひ日本でも公開してほしい1本です。

付記:ここのところ、台湾ではドキュメンタリー映画が元気のようで、現在公開中の『無米樂』は大反響を巻き起こし、同じく公開中の『翻滾吧!男孩』も興行的にそこそこ健闘(今年のアジア・フォーカス福岡映画祭で上映される模様)、昨年の台湾映画興行収入第1位(台北市のデータ)は、先だって日本でも公開された『生命(いのち)』でした。


波麗路のチキン・カレー。懐かしい洋食屋さんの味です。

2005年6月7日火曜日

尖沙咀火車站

〔ちょっとお耳に〕



先日、『ホノルル・東京・香港』を観に三百人劇場へ行ったとき、ロビーに『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』(なげーよ!)のポスターが貼ってあり、何気なく見ていたところ、

香港ロケ協力 タイ国際航空

とあるのに気付きました。

「えっ?あの映画、香港でロケなんかしてたっけ?」と思いつつ、後日、撮影を担当した姫田真左久さんの『姫田真左久のパン棒人生』を読んでみたら、な、なんと、今はなき尖沙咀火車站(以下、尖沙咀駅と書きます)で撮影をしたとの由。

というわけで、今さら観直してみました。

尖沙咀駅が登場するのは、長ーい長ーい映画(タイトルだけじゃないのよ)の後半、佐久間良子演じる狩野温子が列車でコソーリ大連を後にする、それを知った北大路欣也演じる伍代夏子、もとい、伍代俊介が大連駅まで彼女を追っかける、その件でありました。

つまり、大連駅のフリをした尖沙咀駅という次第。

あくまでもフリなのですから、全体像(『東京ギャング対香港ギャング』&『ならず者』の冒頭でちらりと映ります)、特に鐘楼を映したらバレるということで、まずはエントランスのみが映り、その後、駅舎内部(たぶん。セピア色にしてそれとわからないような工夫をしています)からホームが登場します。

でも、上野駅を模して建てたという大連駅のエントランスと尖沙咀駅のエントランスとでは、かなーり違うんじゃないかと・・・・(そういや、2階建てバスがちらりと映ったような気も)。

追記:大連駅駅舎は1937年に完成(それ以前は1907年に建てられた仮駅舎を使用していたそうな)。が、この場面の時代はそれよりもほんの少し前。だから、これでもいいのかしらん。正確に言えば、工事中だった可能性もあるけど。

その他にも苦労はあったようで、撮影当時(1971年)はもちろん蒸気機関車の時代ではありませんから、機関車の映像は別に撮り、ホームの場面では客車しか映らないように処理していました。
ちなみに、ホームは、その後の奉天駅の場面でも使われていたみたいです。

それにしてもこの映画、天津で『義勇軍行進曲』を歌いながら抗日デモをする南開大学の学生たちを日本人が演じていたりする、(今改めて観ると)ものすごい作品であります。
加えて、「赤いっていいな」というスタンスで全体が貫かれているので、西安事件の件でも張学良や周恩来が立派なのに比べて、蒋介石はみっともなくて中国語の発音も無茶苦茶という、これまたものすごいことになっておりました。

立て万国の労働者。

2005年6月6日月曜日

もしもし怪獣の恐怖

〔とほほ事件簿〕

「華流」スターのXファイル騒動、章子怡ら被害に

6月2日、中華芸能界に激震が走った。インターネットのウェブサイト上に中華芸能人600人近くの携帯電話の番号が掲載されたのだ。関連情報は、次々と他のサイトに転載され、番号が公表された芸能人に電話が殺到するという大騒動に発展している。中国メディアが大々的に報じている。
被害に遭ったのは、章子怡(チャン・ツィイー)、張芸謀(チャン・イーモウ)監督、張恵妹(アーメイ)、趙薇(ヴィッキー・チャオ)、李亜鵬(リー・ヤーポン)、馮小剛(フォン・シャオガン)監督、徐静蕾(シュー・ジンレイ)など大物俳優や監督ら・・・・

現地報道は、こちらこちらこちら

「華流」スターのXファイル騒動なんていうので、「××はヅラ」とか「○○は豊胸手術でAカップからEカップに増強!(そういや、古瀬・スイカップ・絵理ちゃんは中国のマスコミから「G杯魔乳」と呼ばれてましたね)」とか、その手のネタかと思ったら、ほほう、携帯番号の流出ですか。

ま、これはこれでひじょーに困ったことですけど。

その後に判明した流出の原因はと言うと、瀋陽の有名芸能記者(陶氏)が北京で取材用バッグを紛失、その中にあったデータが漏れたらしい、との由。

梨元勝や前田忠明が、銀座でバッグを失くすようなものね。

貴重品は必ず身に付けるようにしましょう。

2005年6月5日日曜日

カミカゼ野郎 真昼の決斗 (海陸空大決鬥)

〔えいが〕

1966年、日本・台湾(にんじんプロ・國光影業)。深作欣二監督。千葉真一、白蘭、高倉健主演。

千葉ちゃん演じる「ミスター・トイレ」こと御手洗健が、行き当たりばったり(?)な活躍を見せる痛快アクション映画(東映配給。「台灣電影資料庫」では、こんな作品データになっていました。なぜ?)。

なんだかわけのわからないうちに隠し財宝を巡る陰謀に巻き込まれた千葉ちゃんが、出たとこ勝負!とばかりにカミカゼよろしく台湾で大暴れしますが、ストーリーもかなり出たとこ勝負な展開です。
隠し財宝に関する謎解きは全然たいしたことなくて、後はひたすら中国語タイトルそのままの海(モーターボート)、陸(自動車)、空(セスナ機)のアクションがてんこもり。

とどめは、カーチェイスの途中に出現する原住民の一団。
彼らを見た悪役・頼天賜の子分たち(漢族)は、「日本びいきの連中だ!」と叫び、逆に日本人と漢族たちを見た原住民は「楽しみを忘れた人間たちだ」とつぶやく、その応酬がとほほな笑いを誘います。

また、台湾人俳優の吹替えを担当した日本人声優が、北京語の台詞まで担当しているので、かなーり大変なことになっていました。
その顔ぶれから類推するに彼らが話していたのは台湾語だったと考えられますが(下記参照)、中途半端に北京語にするぐらいなら、いっそのこと全て日本語にしてしまった方がよかったと思います。

ヒロインを演じた白蘭は台湾語映画の人気女優ですが、メイクが大川橋蔵系(目ばりびっちり、おしろいばっちり)なので、もうちょっとナチュラルメイクにしてもいいような・・・・。
頼天賜を演じていたのは、やはり台湾語映画の男優・陳財興。

ただ、主たるロケ地が台南という点は、かなり珍しいかも知れません。
ちなみに、眠り薬を入れた酒を飲まされて昏睡状態に陥った千葉ちゃんと白蘭が、高倉健に助けられて担ぎ込まれる先はこちらでした。

ところで、劇中、台南の街を逃げ惑ううちに千葉ちゃんが売春宿に迷い込み、そこで日本人娼婦に出会うという件がありましたが、「マカオ→南田洋子(『ならず者』)」「シンガポール→ロミ山田(『シンガポールの夜は更けて』)」のような「アジアの街の日本人娼婦」というキャラクターは、この手の映画に欠かせないものだったのでしょうか。
海外渡航がまださほど自由ではなかった時代(お金もなかったし)、異国で出会う日本人は娼婦ぐらいのもの、という先入観があったのか、それとも戦前のからゆきさんのイメージが戦後もそのまま引き継がれたものなのか、いずれにしてもちょっと解せない感じがいたします。

以下は、どうでもいいネタ。

映画監督 深作欣二』によると、この映画は台湾のお金持ちが出資して製作されたもので、國光影業はそのために作られたインスタント会社だったそうですが、「台湾電影資料庫」にはこんな記事もありました。

1966-06-20 日本國映影業要求我國國光影業仍用白蘭為下一部合作片「雨中的愛情」女主角。

国映ってピンク映画の製作会社だったはずですけど、この記事が事実であるならば、台湾で合作映画を撮ろうとしていた時期もあったということになります。

一方、日本側のにんじんプロに関しては、こんな記事が。

1966-03-29 國聯公司與日本人參倶樂部(原文ママ)簽約合作拍攝古裝彩色片「水滸傳」。

台湾のお金持ちに出資してもらって映画を撮るだけでは物足りなかったのか、李翰祥の國聯とも合作映画を作ろうとしていたようです。
ただし、実現はしなかったみたいですが。

キャストの中にこの人の名前も出てくるのですが、いったいどこに出ているのやら・・・・。

(於:東映チャンネル)

2005年6月4日土曜日

客寄せパンダ

〔とほほ事件簿〕

ゆうべはなんだかんだ言いながらついテレビでサッカー観戦、寝たのは午前4時前。
で、今日は午前中に博物館を2件はしごした後、立ち寄った蕎麦屋で生ビールをジョッキ2杯。
寝不足だったのと、空きっ腹だったのとで、あっという間に酔っ払いに。
そのまま帰宅して夕食の時間まで寝ていました。

ということで、今日は軽めの話題を。

見せ物にしないで…“風太ビジネス”に異論

二本足で立つレッサーパンダ「風太(ふうた)」の商標登録をめぐり、動物園同士でホットな議論が起きている。
風太を飼育する千葉市動物公園が「商標登録は風太のイメージを守るため」としているのに対し、アザラシなどの「行動展示」で有名になった旭山動物園(北海道旭川市)はホームページ(HP)に「『見せ物』にしないで」と緊急メッセージを掲載、“商業利用”を痛烈に批判した。そんな論争をよそに、風太は出演CM第1号の撮影も終え、「風太ビジネス」はすでに走り出している・・・・

起こるべくして起こった論争なのかもしれませんが、パンダ自身の考えも聞いてみたいところです。
そもそも、展示と見世物の違いが一体どこにあるのか、それ自体、あっしにはよくわかりませんです、はい。

2005年6月3日金曜日

女集中營 (The Bamboo House of Dolls)

〔えいが〕



1973年、香港(邵氏)。桂治洪監督。羅烈、碧蒂杜芙、王俠、李海淑、劉慧茹主演。

邵氏の抗日バイオレンスエロ映画

日中戦争の最中、日本軍の女性捕虜収容所に収監された中国人女性(実は国府軍遊撃隊隊員の未亡人)・洪玉蘭(李海淑)とアメリカ人看護婦・ジェニファー(碧蒂杜芙〔Birtie Tove〕)たちは、劣悪な環境から抜け出すため脱走を試みますが、内通者の存在によって露見、再び捉えられてしまいます。
玉蘭たちは日本軍の通訳として収容所に潜入していた遊撃隊隊員・崔國陳(羅烈)の助けを得て再度脱走をするものの、内通者からの密告を受けていた日本軍は、彼女たちを徐々に追い詰めていくのでした・・・・。

どこまでも戯画化された日本軍の描写があまりにも滑稽で、途中まではかなりしんどかったのですが、後半、羅烈が活躍するようになってからは俄然面白くなりました。

この手の映画には欠かせない女囚同士のキャットファイトや入浴場面、レズ場面、拷問場面・・・・等々、お楽しみ場面も一通り取り揃えてあります。

ただ、逃走の途中、内通者だと気付かれた女囚が、気付いた女囚(盲目)を滝つぼに突き落として殺す、あそこは気付く側と気付かれる側が逆のほうが面白かったのではないかと思いました(つまり、内通者は盲目の女囚だった方がいいんじゃない?ってことね。盲目のふりをして潜入)。
ありがちかもしれないけど。

劇中、日本軍は洪玉蘭の夫が隠した金塊の行方を探るため、玉蘭たちを執拗に追うのですが、一足先に金塊のありかに辿り着いた玉蘭たちが見たものは、金塊が入った箱に絡みつく無数の蛇(!)。
桂治洪監督には『蛇殺手』なんていう作品もあるけど、こういうときにも蛇が出てくるのね。
大蔵貢と話が合いそうだわ。

ついでに言うと、桂治洪監督は松竹で1年間修行をしたという御仁。
そんな人が、こういうとほほな日本軍の映画を撮っちゃうところに、なにやら奥深いものを感じましたです。


日本軍名物(?)ちょび髭兵士。この人も、


この人も、


そして、この人も。
我ら、ちょび髭ファミリー!


泣く子も黙る鬼の女兵士(ありえねー!)・紅魔子(劉慧茹。『長髪姑娘』にも出てました)。
緑魔子のぱっちもんにして、紅満子のご先祖(ウソ)。
お気に入りの女囚とするコケシ遊びが趣味。


収容所長役の王俠。
そういや、王傑は王俠が邵氏にいた頃に子役デビューしてるらしいっす。
それも観てみたいものね。


日本軍、謎の大宴会。
温泉場状態になってます。


日本軍の電報(!)。
日本語は比較的ちゃんとしてました。
どうせわからないだろうと思って出鱈目書いてないか期待したのですが、ちとがっかり。


単なる日本軍の通訳だと思っていたときには軽蔑していたくせに、抗日の志士だと知った途端に「羅烈、MYLOVE!」になっちゃった碧蒂杜芙嬢と羅烈のムーディなベッドシーンもございます。
非常時に蝋燭の無駄遣い。
碧蒂杜芙嬢は、『丹麥嬌娃』に続き2本目の邵氏作品出演です。

2005年6月2日木曜日

脱力

〔とほほ事件簿〕

昨日、突如沈没していた「Myblog List」、どうやら復旧したみたいですが、運営チームさんの「事情説明」によると・・・・


MyblogJapanのドメイン障害について

マイブログジャパンをご利用頂きましてありがとうございます。
6月1日より、myblog.jpドメインの各サービスがご利用いただけなくなりました。
経緯について下記のとおり報告いたします。

1.6月1日朝、アクセス数の異常な低下を確認
2.原因を調査、ドメインが無効になっていることを確認
3.ドメインの発行サービス元へ連絡、ドメイン切れの告知・契約更新方法についての認識違いでドメインが停止されていることを確認。
4.ドメイン発行サービス元へドメイン復旧手続きを申請
5.現在復旧作業中です。一部のユーザ様からはすでにごらんいただけるようになっており、まだ、復旧していないユーザ様についても今日、明日中に復旧の予定です。

初歩的な管理ミスにより、ユーザの皆様にご迷惑をおかけしたことを深く反省しております。
今後はより安定した管理、運営を行い、ユーザの皆様のお役に立てるサービスを提供できるよう
努力いたしますので、引き続き弊社サービスをご愛顧いただけますよう、お願い申し上げます。

株式会社ドリコム myblog.jp運営チーム


「6月1日朝、アクセス数の異常な低下を確認」というカフカばりのシュールな書き出しもすごいですが、続く「原因を調査、ドメインが無効になっていることを確認 → ドメインの発行サービス元へ連絡、ドメイン切れの告知・契約更新方法についての認識違いでドメインが停止されていることを確認」という展開には、ピノコならずとも「アッチョンブリケ」でございました。

認識違い」って、いったい・・・・?

というわけで、すっかり脱力してしまったついでに、こんなサイトを発見。

こんな××はいやだ。

早速、「せんきち」と入力してみたところ・・・・

サイレンを聞くと必ず「空襲警報!」とギャグをいう。
「下ネタ探偵・せんきちの事件簿12」というサスペンスドラマをやっている。
デニーズで「せんきちフェア」をやっている。
月面移住ができるようになったらどこらへんに住むかもう決めている。
かかりつけの医者が獣医だ。
SMAPの新メンバー(しかもリーダー)だ。
魔法瓶のレバーが「出る/出ない」でなく「せんきち/出ない」になっている。

のような結果が出ました。

ちなみに、

こんな××もいやだ。

という姉妹サイトもございます。

皆さまも、おためしあれ。

2005年6月1日水曜日

新娘與我 (The Bride and I)

〔えいが〕

1969年、台湾(中影)。白景瑞監督。甄珍、王戎、魏蘇主演。

今、まさに結婚式を挙げようとしているテレビ局の広告デザイナー・方大維(王戎)と花嫁・林美雲(甄珍)の過去の恋愛から2人の出会い、そしてゴールインまでを描いたロマンチック・コメディ
第7回台湾金馬奨監督賞、編集賞、第15回アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)録音賞受賞。
1969年の台北市における北京語映画興行収入第2位。

冒頭、軽快なアニメーションによるタイトルバックから、このアニメの登場人物が狂言回しとなって、まず現代の結婚式の色々を紹介、その後、主人公のカップルが紹介されて、2人が過去どんな恋人と付き合ってきたかに話題が移ります。
この辺りから2人の出会いまでは非常にテンポのよいストーリー運びで、「こりゃ、おもろいわい!」とわくわくしながら観ていましたが、美雲が大維を両親(父親役は「中影の明佳男(ミョン・ゲナム)」〔勝手に命名〕こと魏蘇)に紹介して父親が大反対する件から徐々にもたつき始め、停滞気味になってしまったのがいかにも惜しまれます。

東宝作品でもおなじみの甄珍(チェン・チェン)は元々李翰祥率いる國聯の看板女優(國聯五鳳)の1人でしたが、國聯の解散後、中影作品を中心に活躍するようになりました。
これはその最も早い時期の1本です。
ちなみに、この方と結婚していた時期もあります。

主役2人の他、大維の最初のガールフレンド(贅沢好き)役に張小燕、図書館で一目惚れするものの振られてしまう娘の恋人に馮海、美雲の最初のボーイフレンド(ドケチ)に武家麒、等々、主役級の俳優がちょこっとずつ顔を出していました。

ところで、一見、政府のプロパガンダとは無縁のように思える本作品ですが(登場人物が全て外省人という点は除く)、大維が開く「国産衣料品によるファッション・ショー」は、おそらくは政府による国産衣料の国内消費&輸出量拡大という(当時の)方針に乗っ取ったものと思われ、やはりこんなところにも政治がちらりと顔を出すのだなと思いました。
ラスト、ファッション・ショーの撮影にあたって協賛した企業の名前が出てきますが、その中には繊維業界から身を起こして一大コンツェルンを築いた新光の名前もありました。

返す返すも中だるみが惜しまれる一品です。