2006年1月15日日曜日

激殺!邪道拳

〔えいが〕

キャスティングも「邪道」。

1977年、シネシンク。野田幸男監督。千葉真一、山下タダシ、鹿村泰祥、志穂美悦子主演。

「邪道拳」のタイトル通り、千葉ちゃんが電気仕掛けの拳法で最強男を目指す、いろいろな意味で壮絶な映画
タイとの提携作品ですが、タイ側の製作会社である「ピチャイ・フィルム」というのが、どのような会社なのかがどうしてもわかりません。
小道具担当の人がピチャイさんという名前だったので、この人の会社でしょうか。
タイでは『キイ・ハンター』が放映されて千葉ちゃんが大人気だったらしいので、企画も持って行きやすかったのかも知れません。

冒頭、どっかの戦争に巻き込まれた主人公・無音笛とその両親がバンコックへ逃れる途中、兵士に見つかって両親が惨殺されるという場面から映画は始まります。
子供心に「強い男になって仇とったる!」と誓った無音笛は、その足で孤児院の院長兼拳法道場の師匠である華人・陳坤漢に入門、やがて20年の歳月が流れ、立派に成人します。
この成人した無音笛(変な名前)が千葉ちゃんなんですけど、子供の頃に彼が巻き込まれた戦争って、ラオスの内戦かなんかでしょうかねえ。

で、驚きなのが千葉ちゃんの師匠・陳坤漢を演じている役者さん(上の写真)。
香港映画史に残るメーキャップ・アーティストにして、男優・金峰の父である方圓ですよ。
方圓といってもピンとこない方のためにどんな映画でメークを担当していたのか、そのほんの一例を下記にあげると、

『四千金』


『空中小姐』


『野玫瑰之戀』


『星星 月亮 太陽』


『千嬌百媚』


『紅樓夢』


『香港ノクターン(香江花月夜)』
方圓の上に見える李治華って、黒沢治安の変名でしょうか。

てな具合。

はじめっから役者兼メークだったのか、それともメークで来てもらったらその風貌に「いける!」と思った千葉ちゃんが急遽師匠役に起用したのか、その辺はよくわかりません。

さて、師匠の高弟として日々修行に励んでいた無音笛でしたが、ある日師匠が弟子のサモハン、じゃなかった、サムアン(鹿村泰祥)に殺されるという事件が発生、無音笛はサムアン求めて三千里の旅に出、意外とすんなり見つけ出します。
しかし、サムアンの口から師匠が実は麻薬組織のボスであることを聞かされます。
信じられない無音笛はサムアンに戦いを挑むもののあえなく玉砕、谷底に突き落とされるのでした。

と、ここから師匠の仇討&サムアンへのリベンジという個人的な感情に燃える千葉ちゃんの信じられない修業が始まる・・・のですが、その前に山下タダシ演じる麻薬捜査官と香港からやって来た運び屋との兄弟涙の再会のエピソードが入ります。

この兄弟のお母さんはタイ人、お父さんは中国人で、戦後、母国へ帰る決意をした父親は次男を連れてタイを去り、残された長男と兄弟の妹が母親とともにタイで暮らしていたらしいんですけど、母親が運び屋のことを生き別れになった息子と気づく、そのきっかけが子供の頃背中に入れた刺青だったという辺りが、むりやりですわ。
それから、お父さんはなぜいかにもタイ人な見た目の弟を連れて中国へ帰ったのか。
きっとさんざん迫害された末に香港へ逃げてきたのだろうと、勝手な想像をしてしまいました。

一方、山岳少数民族(推定)の娘・リーホ(悦ちゃん)に助けられた無音笛は、彼女が中国人の父から教わったという治療法によって健康を回復しつつありました。
山岳少数民族のタイ人と結婚した中国人ということは、悦ちゃんのお父さんはきっと国府軍の残党だな。

秘薬による治療の後、微弱な電流を患部に通す、漢方というよりは街の接骨院みたいな電気治療を施された千葉ちゃん、「これからはオール電化ね!(BY:東京電力)」と閃いたのかこの電流を悪用、強力な電流を体内に通すことによって肉体改造を目指します。

この後、サムアンが差し向けた殺し屋によってリーホは亡くなり、リーホの仇討という新たな任務も請け負うことになった千葉ちゃん、エレキテル(違うって)にますますのめりこみますが、肉体と精神に過大な負担をかけた結果、それを紛らわすために麻薬漬け(怪しい目つきで麻薬の粉をじかに食らってます。龍角散みたい)になってしまうのでした。

と、そんな無音笛を訪ねてきたのがくだんの麻薬捜査官。
麻薬組織撲滅への執念に燃える月見おぼん、もとい山下タダシと千葉ちゃんの利害が一致、2人は団結して組織のアジトに乗り込むことになるのですが、無音笛の修業(エレキテル)のあまりの凄まじさに思わず目を背ける山下タダシは、なんだか弟の一人エッチを見てしまった姉のようでした。

てなわけで、なんだかんだいいながら、最終的にはサムアンを倒すんですけど(その前にお約束の楊斯も登場)、死んだはずの師匠が実は生きていてしかも日本人だったというオチには千葉ちゃんならずともあぜんぼーぜん。
この日本人、雲南省あたりでドンパチやってたのか、あるいは泰緬鉄道に関わっていたのか、いずれにしても戦後のどさくさでタイに居残った人なのでしょう。

意外なところで歴史のお勉強ができました。

付記:お色気要員として参加したくせに、しっかり乳首をガードしていた劉雅英は、香港ではこんな映画こんな映画に出演しています。

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