2006年6月7日水曜日

葛蘭だった?

〔ちょっとお耳に〕



宝田明と樂蒂が共演した電懋作品『最長的一夜』に関して、かつてせんきちは『週刊平凡』1963年5月9日号にある報道を元に、メインサイトにおいて


また、宝田の香港での人気に目をつけた電懋側も、尤敏の電懋での次回作『最長的一夜』(日本の報道では『長き夜』)に宝田を起用することを決定、宝田も前向きに出演を検討しています(『週刊平凡』による)。


と書き、尤敏が結婚引退した跡を受け継いで樂蒂がヒロインを演じたのだろうと推測しました。

ところが、台湾の報道を見るとどうもそうではなかったらしく、1963年3月5日付『聯合報』には、


電懋向東寶借將寶田明和葛蘭將合演新影片


なる記事が見え、当初は葛蘭が宝田明と共演する予定だったようなのです。

上記記事によると、目下、台湾・香港・シンガポール・マレーシアで最も人気のある男優は中国人俳優ではなく日本人の宝田明で、電懋としては『社長洋行記』に尤敏を貸し出し、さらには東宝ミュージカル『香港』では李湄まで貸し出したのだから、ここらで一つうちも宝田明を借りた上で葛蘭と共演させて1本撮ろうや、ということになった次第。

その後、3月26日付同紙には東宝が宝田明の貸し出し及び映画の内容を承諾した旨の記事があり、『最長的一夜』のストーリーはこのとき既に仕上がっていたことがわかります。
ただ、記事の中には「宝田明がいつ撮影に参加できるかは不明」ともあり、宝田明の渡港が延び延びになっている間に(じっさいには1964年夏に渡港)葛蘭は引退しちゃった、といった経過を辿ったようです。

たしかに、『最長的一夜』の劇中に登場する「明るい農村」みたいな歌唱シーンの唐突感も、葛蘭が当初ヒロインに予定されていたと考えればなんだか納得がいく気がいたします。

ま、ヒロインが尤敏だったのか葛蘭だったのか、いずれにしても2人は1963年から64年にかけて相次いで引退してしまい、それが電懋の凋落の一因ともなったわけでして、してみるとこの『最長的一夜』、なかなか数奇な運命を孕んだ映画だったのだなあと今回改めて思いましたです。

(今日も1人で納得して終了)

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