2006年9月8日金曜日

行くだけ行った in 台北 (その6)

〔たび〕

マサジ(正次?)のマッサージ。

蒸し暑いですね。
昨日、『おんな極悪帖』と『怪猫トルコ風呂』を観にシネマヴェーラ渋谷へ行ったついでに、次回開催される「侯孝賢映画祭」のチラシを貰ってきましたけど(素晴らしすぎるラインナップ)、人名表記がカタカナのためカタカナに弱いせんきちは目がチカチカしてしまい・・・・。

ま、それはそれとして、

鈕承澤

のカタカナ表記が『風櫃の少年(風櫃來的人)』では、

ニュウ・チャンザー

になっていたのに対し、『ミレニアムマンボ(千禧曼波)』では、

ニョウ・チェンツー

とかなりの揺れが見られるのが(音も尿検査みたいだし)、少々気になりました。
そんなこんなで、ちょっくら鈕承澤のカタカナ表記に関して調べてみたところ、

ニュウ・チャンザイ、ニウ・チェンザー、ニュウ・チェンザー・・・・

と、現時点では一定していない様子。
せんきち個人の意見としては、

ニウ・チェンザーないしはニュウ・チェンザー

あたりが無難ではないかと思いますが、一番いいのは面倒でも漢字表記を覚えておくことではないかと。
筆談もしやすくなりますし。

さて、とっとと旅日記を終わらせちゃいましょう。

8月27日(日)つづき
夜の部(名段名家清唱會)も無事に終わり、終演後、Fさんに促されてロビーに出ましたが、待てど暮らせどAさんが現われません。
FさんがAさんに電話をしますが、これも繋がらず。
日本の劇場の場合、出入り口は通常一箇所ですが、ここは舞台上手と下手、両サイドにそれぞれ出入り口がある構造なので、どうやら我々は上手側、Aさんは下手側から出てしまい、そのために逸れてしまったもののようです。
Aさんと合流するのを諦め、Fさんと一緒に中正紀念堂駅まで行ってそこからMRTに乗って民權西路で下車、ホテルに帰りました。

帰館後、ちょっと観たいなと思っていたドラマ『深情密碼』をやっていたので、お茶を飲みつつ鑑賞。
途中で『白色巨塔』の長過ぎる次週予告が入り、そこからなし崩し的に『深情密嗎』本編に戻るため、ストーリーをよく把握していない私の頭の中では両者の登場人物が入り乱れて大混乱、しまいには、

『白色密碼』

になっちまったよ。

仕方なくチャンネルを切り替え、いつものようにニュースをだらだら見。
バンコクで開催されていた国際青少年スポーツ大会で優勝した台湾選手が身に着けていた晴天白日満地紅旗が、大陸の参加者に剥奪されたという事件が大きな話題に。
「中国は一つ」という原理原則に基づいた行動なんだろうけれど、相変わらずやることがえげつないな。

1時間ほどニュースを観た後、Aさんに電話。
「今どこにいるの?」と聞くので、Fさんと一緒にMRTで帰った旨伝えるとほっと安堵した様子。
またの再会を約して電話を切りました。
ついでにYさんにも電話をしてみましたが、留守電だったのでこのたびのお礼と明日帰る旨吹き込んでおきました。

テレビを観るのもいいけれど、明日帰るのだからそろそろ荷造りをせねばと思い、午後11時過ぎ、そろそろと荷造りを開始。
大した物は買っていないはずなのですが、それでもかなりの荷物があります。
また、初日に会ったKさんとSさんから頂いたお土産がどちらも壊れ物のため、これは手持ちにしなければならず、結局帰りも大荷物に。
Sさんが下さった功夫茶器は、なんでも譚家明監督の弟さん(ご本人ではありません)が台湾にいた頃愛用していたものだそうで、香港へ帰るさいSさんが貰ったものの、Sさんは茶藝の趣味がないため死蔵品になっていたとの由。
なんか知らんがありがたいものを頂きました。

荷造りの途中、前日買った『跨世紀台灣電影實錄 1898-2000』の上巻をちょこっとチェック。

1955年、シンガポールで開催された東南アジア映画祭(現・アジア太平洋映画祭)の帰途、台湾に立ち寄った三原葉子

なんていう激レア写真も掲載された超充実の内容で、買ってよかったなあとしみじみ思いつつ、ちょこっとチェックのつもりが1時間以上も読みふけってしまい、キリがないので荷造りも止めにしてとっとと風呂に入って寝ました。

(あと1回でおしまい、たぶん。なのでつづく)

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