2007年3月13日火曜日

JALスチュワーデスのトラベル中国語会話

〔ほん〕


1991年5月、キョーハンブックス。

1週間ぶりのご無沙汰でございます。
台湾の友人、昨日無事に帰国した・・・・はずですが、先週さんざん振り回されたおかげで、精も根も尽き果てたせんきちです。

さて。

有名建築家やふくろう先生、はたまた前宮城県知事と、候補者乱立気味の東京都知事選挙。
しかし、肝心の

あの人が足りない

と思っているのは、せんきちだけでしょうか。

黄泉の国から立候補しておくれ(←すいません。まだご存命でした)。

といったところで、本題。

先日、散歩の途中に立ち寄ったブックオフにて、105円で購入した中国語会話本のご紹介。
今から16年前の1991年、第2次天安門事件の余韻覚めやらぬ頃にJALが出した旅行用会話集です。

表紙で微笑むのは、本文執筆を担当した(らしい)香港出身の客室乗務員・王美珍(Anna Wong)さん。
プロフィールによると「乗務歴9年」で、


私の場合父が北京語しか話さず、香港っ子の私も自然に北京語を覚えてしまいました。


との由。

1991年に乗務歴9年ということは、1982年入社として1960年頃の生まれ。
「北京語しか話さない」という王さんのお父さんは、大躍進の頃に内地からやって来た北方人か、はたまた国共内戦に敗れて香港へ流れ着いた元国府軍兵士(調景嶺在住)か、気になるところです。

気になるといえば、先日読んだ『トオサンの桜』にも「1941年、10歳の頃に広東省から台北へ移住した」という多桑(劉添根さん)が出てきて、日中戦争真っ只中の時代に何ゆえわざわざ日本の植民地である台湾へ引っ越してきたのか、その理由が知りたかったのですが、その辺りの事情は見事なまでにスルーされていて、がっかりいたしました。

で。

会話本の内容ですが、左ページに日本語と英語、右ページに中国語というレイアウトで、中国語に声調記号は付いているものの、ピンイン表記は難しいため怪しいカタカナ表記で代用してあります。
ですので、例えば「初めまして」は、


初次見面(ツウツジィェンミェン)


と、ツーツーレロレロ状態になるといった按配。

ま、それでも、以前ご紹介した日本語教則本(こちらこちら)よりは数段ましなのですけれど、ちいとばかり衝撃を受けたのがこちら。


いいえ」が、



ブスだよ、ブス!

目の前でブスブス連発された日にゃあ、あたしだったら(図星だけに)どつきますよ。

ところで。

先ほどもちらりと書いた通り、この本が出た1991年は1989年の第2次天安門事件のわずか2年後。
だもんで、あたしゃてっきり事件のおかげで激減した日本人旅行者を呼び戻すためにこういった本が出たのだとばかり思っていたら、

1989年:358,828人、1990年:463,265人(29.1%増)、1991年:640,859人(38.3%増)

と(こちらを参考にしました)、何のこたあない、本の力なんぞ借りなくともそれなりに順調に増えていました、日本人旅行者。

喉もと過ぎれば・・・・なのですなあ。

(オチらしいオチもなく終了)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは。

香港出身の客室乗務員のプロフィールごときで、
「元国府軍兵士(調景嶺在住)か」とまで、想像してしまう、せんきちさんスゴイです。
「調景嶺」という言葉久しぶりに目にしました。
吉田一郎の『香港街伝』を読んだ時以来?

さすが、です。

匿名 さんのコメント...

リネンさん

こんにちわ。
お褒め頂き恐縮です。
王さんのお父さん、今日もご健在だとして、未だに北京語しか話さない生活をしているのでしょうかねえ。
それとも、とっとと移民したとか。
これも気になります。