2008年2月14日木曜日

おもひでの東京

〔ちょっとお耳に〕


どうも。
毎晩1~2時間おきに婆さんに起こされて(排泄介助ね)、寝不足状態のトドです。
そんな状況の中、わずかな睡眠時間ながら、昨晩はヴェネツィアでカトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)と李安について語り合う夢を見ました。
通訳の人がいたけど、誰だったか覚えていません。

今日はちょっとした小ネタ。

九龍の彌敦道に帝國酒店という古ーいホテルがありますが、そこにかつてあった(という)のが「東京レストラン」なる日本料理店。
姫宮栄一の『香港 その現状と案内』(1964年、中央公論社)には、


東京の「喜可久」が一九六〇年、九竜の尖沙咀に「レストラン東京」を開店、美人ホステスとすきやき、天ぷらで大当たりした。


とあり、なかなかの繁盛振りだったようです。
おそらく、東宝の『社長洋行記』や『香港クレージー作戦』に出てくる日本料理店は、ここをお手本にしているに違いありません。

姫宮の『香港』ではこの他の日本料理店として1964年開業の「金田中」(美麗華酒店内。後、銅鑼灣に移転)と「名古屋」(總統酒店〔後の香港凱悦酒店〕内)の名を挙げていますが、香港サイドでは大丸内に「大丸レストラン」があり、また、このあと雅圖酒店(新雅圖酒店)に「小泉」という店もオープン、上記5軒が1960年代半ばの代表的な日本料理店だったようです。

で。

このたび、ひょんなことから某ヤフオクで東京レストランのパンフレットをゲットしたのですけれど、それによれば、ここは日本料理店のみならず、ダイニングルームにナイトクラブ、それにカクテルラウンジまで経営しておりまして、つまり、帝國酒店の料飲部門全てを請け負っていた、ということがわかりました。

表紙。


1階、カクテルラウンジでございます。
午前9時から深夜1時まで営業。


17階、日本料理店でございます。
正午から午後11時まで営業。


18階、ダイニングルームとナイトクラブでございます。
ダイニングルームの名物は神戸牛のステーキでおます。
午前7時から午後10時まで営業。
ナイトクラブは午後10時から午前1時まで営業。
ということは、ダイニングルームがクラブに早変りってことか?


となると、俄然興味が湧くのが東京レストランの親会社であるところの喜可久の正体。
が、今のところググってみても、銚子の寿司屋のサイトしか出てきません。
もう潰れちゃったんでしょうか。

どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示下されば幸いです。

付記:ちなみに、1971年当時の「名古屋」のお値段(香港ドル1ドル≒日本円60円)。
定食類(天ぷら、刺身、とんかつ)15ドル、すきやき20ドル、ざるそば4ドル、寿司盛り合わせ12ドル。
その頃、日本でラーメンを食べると180円位、郵便はがきが7円、大卒初任給が約4万3千円でした。

おまけ:私たちも、神戸牛のステーキが好きです。

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