2009年3月1日日曜日

もう1つの亞太影展

〔ちょっとお耳に〕

葛蘭が観たら、何と言うだろうか。

どうも。
トド@引き続き病院通いです。

えー、先日こちらでお知らせしたシネマヴェーラ渋谷での『離魂』の上映、3月12日(木)にもあるようです。
というわけで、以下にタイムテーブルを。

3月8日(日):12:45、16:15、19:45(『不貞の女』と2本立)。
3月12日(木):17:00、20:05(『肉屋』『最後の人』と3本立)。

さて。

先だって、ちまちました記事を書いたアジア映画祭、すなわち現在のアジア太平洋映画祭(Asia-Pacific Film Festival.1983年〔一説に1984年〕に現名称に改称)、この映画祭を中華圏では亞太影展と呼び習わしておりますが、実は1970年代にもう1つ「亞太影展」と呼ばれる映画祭がありました。
それは、1966年、韓国で設立されたアジア太平洋協議会(ASPAC.亞洲暨太平洋理事會。設立当時の加盟国は、韓国、日本、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、マレーシア、南ベトナム、中華民国〔台湾〕、ラオス〔オブザーバー参加〕。1972年以降に自然消滅)のプロジェクトである文化社会センター(亞洲太平洋文化社會中心)が主催していた"Asian and Pacific Film Show"(日本語での呼称は不詳)のことで、1970年に第1回が催されたようです。
目下のところ、データが確認できたのは第5回、第7回、第9回の3回分だけなのですが、とりあえず、判明している分だけを下記に掲げておきます。


第5回(1974年4月):開催地・韓国(ソウル)。参加国・韓国、中華民国(台湾)、ニュージーランド、タイ、フィリピン。
上映作品の詳細は不明だが、台湾からは『愛の大地(愛的天地)』が出品された。

第7回(1976年4月):開催地・韓国(ソウル)。参加国・韓国、中華民国(台湾)、フィリピン、日本。
上映作品の詳細は不明だが、台湾からは『愛心與信心』(ドキュメンタリー)及び『長青樹』が出品された。

第9回(1978年6月):開催地・中華民国(台湾〔台北〕)。参加国・中華民国(台湾)、韓国、オーストラリア、ドイツ、イギリス、イタリア、香港、インド、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイ、アメリカ、パナマ、日本。
テーマは「電影與文化(映画と文化)」。
ピーター・グレイブス(Peter Graves)による講演「美国演員地位的変遷(アメリカにおける俳優の地位の変遷)」の他、3つの講演が行われ、シシリー・タイソン(Cicely Tyson)等もゲストとして招かれた。
上映作品の詳細は不明だが、台湾からは『蒂蒂日記』『永恆的愛』及び『台湾漁業』(ドキュメンタリー)が出品された。




データを一瞥して、不思議だなと思うのが、親組織であるアジア太平洋協議会が自然消滅した後も、そのプロジェクトである社会文化センターは存続していて、これまでと変わりなく映画祭を実施している点。
ただし、この点に関しては、やはりアジア太平洋協議会のプロジェクトだった食糧肥料技術センターが現在でも存続していることから見て、どうやら親組織の消滅とは関係なく、独立した一機関として活動を行っていたと考えることができそうです。

データが判明している3回の映画祭からわかることは、通常の映画祭のようなコンペ形式のものでなかったのは勿論のこと、むしろ映画を媒介とした外交の場だったのではないか、ということです。
特に、台北で開催された第9回(1978年)は、当時国際的に孤立を深めつつあった国府台湾にとって非常に重要な外交の舞台だったようで、アジア太平洋諸国はおろか、ヨーロッパ各国からも代表団が参加しています。
当時の報道を収載した『跨世紀台湾電影実録 1898-2000』(2005年、文建会、国家電影資料館)では、この亞太影展のことを


・・・・亞太影展是由「亞洲太平洋文化社會中心」發起的影展、影展性質定位在學術和文化交流、與商業氣息濃厚的亞洲影展截然不同。 (以下略。1978年6月30日の項)


と定義付け、その意義を強調しています。

しかし、そんな亞太影展もその後ほどなくして自然消滅したらしく、映画を媒介にした外交という国府台湾の目論見は失敗に終わったのでありました。

めでたしめでたし・・・・で、いいのか?

(とりあえず、おしまい)

0 件のコメント: