2009年4月29日水曜日

アナタハン、どなたはん?

〔えいが〕〔しようもない日常〕

スタンバーグ(Josef von Sternberg)ヴァージョンの1部。
やっぱり「安里屋ユンタ」。

どうも。
トド@車もないし免許も持っていないので高速料金1000円なんて全く関係ないよです。

今日はお天気がよかったので、フィルムセンターへ行ってきました(やっぱり関係ないよ)。
以下は、ちょっとしたメモ。


『剣劇女優とストリッパー』

1953年、新大都映画。平澤譲二監督。大都あけみ、奥山紗代、三島百合子、空飛小助、キャロル都、他。

言っとくけど、『セーラー服と機関銃』じゃないよ、『剣劇女優とストリッパー』だよ。
フィルムセンターの公式サイトにある解説によれば、「1953年頃に際物作品をわずかに残して瞬く間に映画史から消えていった新大都映画の作品」だそうですが、不肖せんきち、詳しいことは全く存じておりません。
とりあえず、観たままを。

乳母みたいな婆さん(だと思う)に背負われた白木みのるみたいな堀部安兵衛(空飛小助)が、哺乳瓶のミルク飲みつつ高田馬場へ向かっていると、突如場面は飛んで主役の女優さん(大都あけみ・役名も同じ)の大立ち回りになります。
最初に書き忘れたけれど、1953年なのになぜかサイレントで活弁の解説入り。
剣劇だから?

「吾妻八景」の「佃の合方」が延々と流れる中、ひとしきりチャンバラが終わると、そこは映画の撮影現場。
例の安兵衛と婆さんも息せき切って駆け付けるものの、「お呼びでない」とばかりに「狼なんか怖くない(Who's Afraid Of The Big Bad Wolf?)」(言っとくけど、石野真子じゃないよ)が流れる中、2人は退場(安兵衛はいつの間にやら三輪車に乗っていました)。
と、そこへあけみの恩人である芝居小屋の座元の女性が面会にやってきます。
撮影の休憩時間に語り合う2人、あけみがここまで来るのには苦しい下積みの時代があったのでした…。

かつてあけみは「市松あけみ」という芸名(市松延見子となんか関係あんのか?)で歌舞伎一座を率いる女役者でしたが、小屋はガラガラ、赤字は膨らむ一方で、太夫元からは暗に枕営業を勧められる始末。
しかし、この窮地を救ったのが、座元。
東京から帰ってくる彼女の妹がストリッパーをやっているので、歌舞伎と一緒にストリップを上演しようと提案したのでした…って、

そんなのアリかー!!!

座元の目論見通り、身体を張った甲斐あって興行は黒字に好転、座元の妹(キャロル都?役名はミミー・ローズとか言っていました)に深く感謝したあけみは、ミミーへの弟子入りを志願します・・・・って、

再びそんなのアリかー!!!

しかし、ミミーと座元はあけみに女優としての道を究めように諭し、ミミーの紹介で新大都映画へ入社したあけみは、剣劇女優・大都あけみとして活躍するようになりました、めでたしめでたし…って、

三たびそんなのアリかー!!!

「映倫のフィルム審査でストリップ場面の部分的な削除が要請されている」(解説より)そうで、たしかに、ストリップが歌舞伎を救ったはずなのにその過程は無しで、いきなり「あけみの芝居も大人気になりました」とか何とかいう活弁と共に「三人吉三」の劇中劇がだらだらと続くんですけれど、いや、これがつまらないの何のって。
女役者がお嬢吉三やっても何の面白みもないのよ。
なんでお坊吉三をやらないんだろ?

以上、あらすじを書くだけで全ての労力を使いはたしてしまいましたが、ストリッパーのお姉さん(2名確認。1名は体形が豊満な割に貧乳。もう1名はそれなりって、大きなお世話ね)は腋毛をきれいに処理しており、乳首には、

頂きました、星2つ!(by.堺正章)

とばかりに、光るニップレスみたいなのをくっ付けていました。

追記:あらすじでおわかりの通り、本作自体はしようもない映画なのですけれど、「歌舞伎=古くさい」「ストリップ、女剣劇=新しい」という対比(主人公は歌舞伎に見切りをつけて女剣劇に活路を見出す)から見ると、この映画の製作された1953年を挟んで歌舞伎界に起こった一連の動き(武智歌舞伎の上演、歌舞伎役者の映画界への転身、東宝歌舞伎と高麗屋父子の東宝移籍、東宝歌舞伎の対抗勢力としての東映歌舞伎…等々)とリンクしている部分もあるのかなあ…と考えられなくもないのですが、ま、気のせいでしょう、たぶん。


『アナタハン島の眞相はこれだ!!』

1953年、新大都映画。吉田とし子監督。比嘉和子、髙野眞、小泉郁之介、諏訪孝介、加藤勇、佐伯徹、熊木浩介、里木三郎、大塚周夫、他。

かの有名なアナタハン島事件の映画化。
「当事者である比嘉和子本人が主演する」というのがミソです。
監督は通常言われているような「盛野二郎」ではなく、「吉田とし子」という女性で、この女流監督が比嘉和子に演技指導(らしきもの)を行っている場面から映画は始まります。

和子の服装が、

ワンピース→余り布で手作りしたらしいビキニ風スタイル→腰蓑と乳当て

と薄着(?)になっていくにつれ、男たちの欲望もむき出しになっていくものの、なぜか戦争が終わると、和子の服装は再び真新しいワンピースに逆戻りしていますた。

持ってたなら、始めから着ろよ。

当時のマスコミによって「毒婦」「女王蜂」等というレッテルを貼られた和子ですが、正直、見た目は「冴えない小太りのおばさん」で、「なぜこんな女を(以下省略)」という思いしか抱くことができませんでした。
しかし、「なぜこんな女を(以下省略)」という、おそらくせんきちと同様、当時の男たちも抱いたであろうこのどうしようもない違和感とその根底にある侮蔑の感情が、彼女のネガティヴなイメージを一層増幅させる起爆剤になったに違いありません…と書くと、何か深ーい含蓄のある映画みたいですが、別に何にもなかったっすよ、かなり退屈だったし。

ただ、この事件を下敷きにした桐野夏生の小説『東京島』もそうだったけれど、「女ってやっぱりすげーなー」と映画の出来とは全く別の次元で女性の持つ逞しさと生命力に関心しちゃいますたし、この(女性の)生命力への(男たちの)惧れと嫌悪が、「比嘉和子悪女伝説」の根底にはあるのかなあと考えたりもいたしますた。

ところで、こちらのサイトによると、和子の出身地である沖縄では1954年1月に


「全琉話題の映画・本日大公開!もっとも良い映画と、もっとも悪い映画の異色豪華二本立て」という宣伝文句で、その『アナタハン』と前述の『アナタハン島の真相はこれだ』が二本立てで上映


されているそうです。

…参りました!

追記:比嘉和子を比嘉和子本人が演じるという点が、この映画の際物性をより強化していることは間違いないのですけれど、考えようによっては「男たちに追い回される(男たちが奪い合う)女は、若くて美しくて官能的でなければならない」という思いこみ(幻想?)を嘲笑うかのようなキャスティングである、と言えなくもないかも…って、やっぱりこれも気のせいか。
映画の中身も、あくまで和子目線…というか、ひたすら和子の都合のみですた。

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