2015年3月20日金曜日

大阪アジアン映画祭で観た映画のことなど(前編)

〔えいが〕

あでやか!
邵音音姐!

どうも。
トド@ちょっと怒っていることがありますです。
ということで、忘れる前に大阪アジアン映画祭で観た映画のメモなんぞを。
9本あるので、前後編に分けてお届けいたします。

(3月13日(金)に観た映画)
すこーん!と突き抜けた青空のような、痛快娯楽青春映画。
ここに登場する少年たちは、貧困、家族の失踪、DV等、様々な問題を抱えていますが、「明日に向かってやったるでー!」という気概に充ちた姿勢が実にあっぱれ。
また、いついかなる時でも直立不動の姿勢を崩さない国父孫中山もあっぱれ。
易監督の原石発掘の才に、またしても舌を巻きました。
易智言監督と主役の2人。


『父の初七日(父後七日)』フィリピン編とでも呼びたい内容でしたが、コメディではなく、非常に丁寧で手堅い作りの作品でした。
家族の葛藤を描きつつも、舞台であるマリキナの主要産業であった靴(製靴)が主役の映画とあって、イメルダ・マルコス(ヒロインの名前もイメルダ!)ご本人が出てきたのにはびっくり。
ヒロインの子供時代を演じる子役の女の子が、アーリア・バットにクリソツでした。
しかし、なぜか長じて江角マキコに!
ミロ・スグエコ監督。

かつて金門島に実在した慰安所を舞台にした作品。
この作品を観ながらしきりと思い出したのが、かつて鈕承澤監督が主演した映画『バナナ・パラダイス(香蕉天堂)』。
そう考えてみると、この作品は1980年代から90年代にかけて作られた台湾における外省人の歩みを描いた作品群(『ある女の一生(我這樣過了一生)』『老兵の春(老莫的第二個春天)』『海峽兩岸』『童年往時 時の流れ(童年往時)』『赤い柿(紅柿子)』等)の延長線上に位置する映画のような気もします。
民主化し、本土化した台湾において、一口に外省人といっても、若い世代と一世、二世とでは、中国に対する感情(特に望郷の念)もかなり異なるのではないかと推測され、 そのような状況にある今、こういった作品が台湾の人々にどのように受け止められたのか、むしろその点に不肖せんきちなどは興味を持ってしまうのであります。
勿論、作品の題材としては今でなければ到底作り得なかった題材ではあるのですけれど。
今回の映画祭では美術監督さんがおみえになっていたので、女性たちの部屋の内装の違い(※)について質問をしたかったのですが、 時間切れで質問できなかったのが残念でした。

※慰安所で働く女性たちといっても十人十色で、例えば阿嬌という女性の部屋には鏡台脇に張美瑤の写真が飾られ、枕元には『梁山伯與祝英台』のサントラ盤のジャケットらしき物が貼ってあります。一方、妮妮の部屋には『藍與黑』(『赤と黒』ではありません)のような文学書やギターが置かれ、彼女はそのギターを奏でながら夜毎「帰らざる河(River of No Return)」を歌います。ここから、妮妮がおそらくは外省人のエリート家庭の出であることが暗示されるのです。
台湾ナイトでのフォトセッション。
観客席撮影に夢中の易監督w


(3月14日(土)に観た映画)

想像していたものとは、いい意味においても悪い意味においても全く異なっていた作品。
もっと派手な恐怖シーンやスペクタクルシーンがあるのかと思いきや、とても内省的、というか、個々の人間の心の中に潜む悪や魔性が、嵐の夜にやってきた悪魔憑きの若者によって一気に露わになる 、といった按配の映画でした。
チャリト(チェリト)・ソリスがかつてカルト教団に傾倒していた、というエピソードが登場人物の会話の中に出てきて、映画の内容とは全く関係のないところで感心してしまいますた。

ドド・ダヤオ監督

熱過ぎるバドミントン映画。
同じ負け犬映画として"Happy New Year"と比較してみたくなりました。
また、『きっと、うまくいく』と比べてみるのも面白いのではないかなあと思います。
この作品の結末とHNYや『きっと~』の結末との違いは、成熟社会である香港といまだ発展途上であるインドにおける負け犬の捉え方の違いを表しているように思えてなりません。
そしてこの香港の美しき負け犬たちに昨年の雨傘革命の若き闘士の姿を重ねたくなるのは、私だけでしょうか。
上映後のサイン会で、
念願だった音音姐とご対面。
せんきちが持参した『百媚千嬌』に
びっくり仰天の音音姐。
もちろん、この本に
サインを頂きましたわよ。

(後編につづく)

0 件のコメント: